これでいいのか? 北京オリンピックでの日本のメダル獲得数 2008/ 8/25
北京オリンピックが終わり、NHKを中心にお祭り気分だったTV番組もやっと平常に戻りましたが、今回の大会では、予想通り中国が金メダル獲得一位を記録した、と報道されています。 そのこと自体は開催国としてのメンツも含め、特に彼の国が社会主義国であることもあり、当初から言われていたことであったようです。
当初から危惧されていた人権問題などの諸課題については相当積み残しされる結果となりましたが、ともあれ大きな混乱も無く世紀の祭典が無事に閉幕した事は、世界との協調路線を堅持する現中国政府の大きな成果であり、先ずは素直に評価したいと思います。
今朝の各新聞やネットには、各国が獲得したメダルの数が掲載されております。 それを見た筆者の感想としては、日本のメダル数に対し、些か残念な思いがしてなりません。
☆国別のメダル獲得数上位(合計10個以上獲得国)と国別人口
☆上の表を見ると、金メダル51個、合計100個を取った中国ですが、人口比から見ると世界平均の半分であり、やはり地域格差等の課題は大きいと思われます。
また、世界第二位の人口大国のインドが現在のところメダルとは無縁(金1、銅2、計3個)となっており、今後の急激な伸びが予想されます。
先進国(概してOECD諸国)のメダル数比率は、人口1000万人あたり4〜7個というのが妥当な数と思われます。
国によっては、得意部門に集中してメダルを獲っているところもあり、また一部個人の活躍により比率が上っている場合もあります。
この表では、日本のメダル数比率は先進国の半分以下、世界平均程度となっており、送り出した選手の数や予算に比べ大変見劣りするのは否めないところです。
マスコミの論調としては『日本よくやった』というものも多い様ですが、確かに参加し力一杯頑張った各選手に対しては、素直にエールを送りたいと思います。
しかしトータルで見た場合、『先進国』であるはずの日本の獲得メダル比率が、世界平均並みという相当不甲斐無い結果であったと言わざるを得ません。
日本政府や各自治体のスポーツ予算としては、多分世界平均の数倍以上のレベルであるはずであり、問題は『使った金の額』ではなく『金のかけ方』が下手であったということではないでしょうか。つまりこの結果から見た場合、現在のスポーツ行政が今国内で問題視されている『ばらまき行政』『ハコモノ行政』と同じレベルになってはいないかと些か心配になってきます。
筆者の判断基準としては、各国の『人口当たりのメダル獲得数』がその国全体のスポーツレベルを表わしていると考えております。 本来のメダル獲得数は、確率的に見て人口に比例するはずなのですから。
☆勿論、世界各国夫々のお家事情があり、様々な格差が存在している事は事実です。
人口当たりの獲得メダル数の格差の要因として考えられることとしては
1.民族的な運動能力の差という要素も考えられます。
しかし例えばお隣の韓国などは上記の表で6.43と比較的高い水準であり、モンゴロイドの運動能力がコーカソイドやネグロイドの人達に比し格別劣っているとかそういった訳ではないと思われます。(この結果から見ると韓国は良く頑張っていると思います。)
2.『スポーツ出稼ぎ者』がその祖国選手として活躍する場面も相当あるとも聞いております。
3.概して発展途上国は、各種スポーツの普及率や施設の充実面において不利となっており、メダル上位には一部例外を除き余り顔を出していないのもまた事実でありましょう。
4.旧(現も含め)社会主義国は、過去から国策としてメダル獲得を推し進めてきており、その影響も大きいと思われます。
以上の要素が挙げられましょう。
しかしその中においても、やはり先進国であるはずの日本の獲得メダル比率の低さは些か気になる所です。
一時の長期低迷からは多少脱した感はあるものの、やはり世界各国に比してスポーツ部門での劣勢は否めない所でありましょう。
ここで殊更『JOC何やってる!』などと声高に叫ぶつもりはありませんが、日本のスポーツ振興を担っているはずの文部科学省他の関係団体は、ただ予算を粛々と消化するだけでなく、もっと様々な角度からの『日本民族のスポーツ強化』に取り組むべきと思います。
一例として挙げるなら、他国も盛んに行っている、優秀な選手を自国に帰化させる『スポーツ移民』なども、より積極的に進めるべきでしょう。これは日本人DNAの多様化にも貢献するはずなのです。
また、最近は多少改善されてきたといわれておりますが、各種目のスポーツ選手が『プロとして食べてゆける』環境作りも大切な要素であるはずです。 アマチュアは金儲けしてはいけない!などという論については、より広い見地から再考すべきと思われます。
筆者として言いたいのは、単に『金かけろ!』というような一部政治屋などの単純思考パターンではなく『その道のプロはもっと知恵を出せ!』ということです。
日本において、もっとより幅広いスポーツ部門に対しての施策が急務であると強く感じた北京オリンピックの結果でありました。