最近の自民党政権は『平安時代』のレベル! 2009/ 2/ 19
☆2月18日、中川財務・金融相が一連の酩酊、朦朧会見の責任を取って辞任した、という報道がなされておりました。
彼は、「北海のヒグマ」と呼ばれた、故中川一郎氏の長男で、麻生総理などと同様の、世襲の政治家です。
彼自身の能力については、自民党内でもそれなりには評価されてはいたようで、また、麻生内閣の重鎮の職に就任後は、報道によれば朝四時に起きて、いち早く市場状況の把握に努めるなど、それなりの努力もされていた、と報じられてはおります。 しかし、体調不備にもかかわらず重要な会議に出席したり、報道陣の前で発言したりと、万全の自己管理を要求される政治家として、些か心許ないと感じたのは衆目の一致するところでありましょう。野党の集中砲火を浴び、ドタバタ劇の後、辞任に追い込まれたのは当然のことと思われます。
TVの画面を見ていて、ひょっとしたら脳動脈瘤などの病変もあるのかもしれない、という印象も受けましたが、やはり本人の健康管理は、最終的に本人自身の責任といえるでしょう。
この、中川氏の辞任劇を見ていてつくづく思ったのが、最近の国会議員はなんとひ弱なんだろう、という印象でした。
総理職を途中で投げ出してしまった安倍晋三氏や福田康夫氏、そして今回の中川昭一氏など、迷走の続く麻生太郎総理も含め、無責任な大臣さん方のオンパレードではありませんか。
どうも、彼等の政治家としての自負や、特に根性など、過去の政治家や外国の政治家達と比較して、余りに『ひ弱』だという印象しか持ち得ないのです。 ま、これだと官僚連中に馬鹿にされても仕方ないことだと思います。 少なくとも80年代後半くらい、中曽根康弘元総理の頃までは、政治家については、様々な毀誉褒貶はあるにせよ、皆それなりの品格と見識、忍耐力を持っておられたはずなのですが。
なぜ彼等はこれほどまでにひ弱で脆いのか、その大きな原因として先ず思い浮かぶのは、やはり、彼等の共通項が『世襲議員』だということではないでしょうか。
日本において、『世襲』の流れは、医者とボウズだけではなく、今では相当数の代議士や高級官僚にも蔓延しているといいます。
世襲であれば、親譲りの地盤を元にして、馬鹿でもチョンでも取り敢えずは飯は食える。 何事も起きなければ党内の年功制で大臣の椅子くらいは手に入る。過去からの自民党派閥政治の悪弊の最たる部分が、ここに凝縮していると言っても良いと思われます。
もちろん、議員を世襲するそのこと自体を悪く言っているつもりは全くありません。 若し二世、三世の方達が、それなりの見識と品位、国政に対する情熱や根性や忍耐力、そしてなにより自分こそが国を守り国を動かすという高貴なる動機『ノブレス・オブリージュ』を備えそれを実践していたなら、彼等が国政に参与することはむしろ当然のことといえると思います。 しかしどうも今の彼等に、それが備わっているとは残念ながら思えないのです。世襲することのプレッシャーは当然あるでしょうが、その事と、自分に箔を付けるためだけに大臣の椅子を欲しがる『大臣病症候群』とが、ほとんど同義語となってはいないでしょうか。
血みどろの政争の修羅場もろくにくぐらず、真剣な政策論議で官僚達と本気でやりあうこともなく、落選の地獄でのた打ち回ることもなしに、ぬくぬくと政治屋として齢を重ねているだけの『将来を嘱望されている若手有力議員』がうじゃうじゃおり、末期症状を呈している自民党の中で、その一部が、『消去法によって』たまたま脚光を浴び、重要ポストに付いたのは良いが、すぐさま馬脚を現してしまった!というのが現状のようなのです。
☆今の世襲議員さん達のレベルと、現代の政治の混乱状態を見てゆきますと、日本は一見民主国家のように見えますが、その実態は、『平安時代』とほとんど同じレベルであるということが良く解ってきます。
平安期においては、上級貴族の子弟を特に優遇する『蔭位の制(おんいのせい)』というのがあり、高級貴族の息子は、出仕(官職に就くこと)した最初から『殿上人』としての特権が得られたといいます。 つまり、いいとこのボンボンには、最初から堂々とゲタを履かせる制度があったんですね。
※蔭位の制:日本の律令体制のなかで、高位者の子孫を父祖である高位者の位階に応じて一定以上の位階に叙位する制度。父祖のお蔭で叙位するの意。(Wikipedia)
まさに、世襲議員というのは『現代の蔭位の制』によってバッヂを付けていると言っても過言ではないでしょうか。
平安貴族というものは、『雅(みやび)の世界』などと言われておますが、その実態は、実際に国家の運営を担っていた、というレベルでは全くなく、現代的観点から見た場合、具体的な『政治』などは全く行っておらず、400年もの間、彼等がやっていた事といえば『儀式』と『政治ごっこ』そして『政争ごっこ』に他なりません。 藤原氏を中心とした彼等高位貴族達の頭の中には、国民全体のために何かを成し遂げようなどという『護民思想』など、全くかけらもなかったのです。 彼等は、全ての実務は下位の官僚たちに丸投げし、自分達は国民の困窮を他所に『閨閥ごっこ』に明け暮れていた訳ですから。
今の自民党や一部野党のレベルも、これと殆ど変わっていないのでしょうね。 『閨閥ごっこ』が『椅子取りゲーム』に変わっただけと考えれば、より理解しやすいでしょう。
また同時代に行われていた律令制には、『六議の制(りくぎのせい)』というのもあり、この制度の下では、貴族には特権的に、犯罪を犯しても実刑が加えられることは殆どなかったのです。 現在、一部の国会議員達が贈収賄や闇献金など自らの犯罪を、例えそれが明白になった時点においてさえ一切認めようとせず、灰色のままうやむやにしようとする姿勢は、自分達を特権階級とみなしている証であり、そういった心理が働いている彼等の頭の中には、いまだに一千年も前の、この六議の制が存在しているようです。
そして面白いことに、平安時代も現代と同様、『国が正規の軍隊を持っていない時代』であったのです。桓武天皇が軍政を廃止して以来、少なくともそれ以降の律令制の中では軍隊は存在していない事になっていたのです。 戦後60年以上たって、憲法九条の扱いに対し真正面から取り上げ、国民に具体的に審判を仰いだ政治家は未だに存在せず、この問題をずっとうやむやなまま放置しており、厳として存在している自衛隊を、法的には継子のままにしている体たらくなのです。(安倍さんの時に、省には格上げされましたが)
これも、今の自民党他の議員さんたちが、平安貴族と同様に『ケガレ』を嫌う存在であり、自分の手を汚したり、泥を被ったりする仕事は一切したくないというレベルの頭でしかなく、世界の現実に即した柔軟な考えを持とうとしないためと思われます。
彼等世襲議員さん方の、千年以上前の平安貴族レベルの不甲斐なさ、脆さをこうも見せ付けられると、そのアンチテーゼとして、嘗て世情を騒がせた『ムネオ氏』(鈴木宗男衆議院議員)などのほうが、逞しく思えてきます。 彼の、地獄の底からでも這い上がろうかというタフさ、したたかさや、国会議員という地位に対する執念などを、見るにつけ聞くにつけ、逆に、政治家としての『必要条件』が何なのかが、見えてくる感じがします。
勿論、過去に鈴木氏がやった事や、やろうとしたことについては賛成できるものではありませんし、彼が自民党から除名され現在もなお公判中であることは、むべなるかなとは思えますが。
しかし、いざという時、友達に持っていて本当に頼りになるのは、人畜無害の世襲議員さん方よりも、ムネオ氏の方ではないでしょうか?
こうしてみると、日本人という民族は、いくら時代が進んでも平安時代程度のレベルの政府しか持てない、とは思いたくありませんが、本当に今、何とかしなければ、という想いで一杯です。
☆時を同じくして、クリントン米国務長官が駆け足で来日しました。 もちろんその主眼は、日本重視のポーズを示すことによる、日本に米国債を買ってもらうための下準備でありましょうが、彼女が行った準備の周到さや、PRのうまさ、そして過密スケジュールをものともしないタフネス、バイタリティやしたたかさなどに圧倒される思いがしたのは、私だけではないはずです。
誠に残念なことですが、昨今のニュース場面を見ると、大和男子(やまとおのこ)が、毛唐のオバサンに圧倒されてしまっている、としか思えない状況ですね。
追記: 2009年5月9日
本日付けの朝日新聞朝刊に、世襲議員に関しての記事が掲載されていました。 一面トップの扱いで、見出しには『世襲133人 立候補予定』とあり、4面にも詳細が出ていました。
紙面の論調としては、世襲の是非を問う論陣を張るというよりも、統計的事実を淡々と述べている形を取っていました。 まあ、ある程度公平さを保つという意味ではこの程度の内容でよいと思われます。
ここで、誌面に掲載されていた世襲議員に関しての統計データを転載させてもらいます。
◎衆院選での全候補と世襲候補の数、当選率の推移
※09年は7日現在の立候補予定者
誌面によると、自民党の世襲率は33%、民主党は8%程度とされています。 そしてこのデータを見ると、やはり『3バン』を引き継いだ世襲諸氏の、80%前後という圧倒的な当選率の高さが目立ちます。
そしてこれら現代の『蔭位の制』を是としているのは、他ならぬ我々国民なのです。
民主党は次回選挙から原則世襲禁止を掲げるそうですが、政界の自主規制を待たず、日本人自身として、もうそろそろこの千年も前の蔭位の制から脱却すべき時ではないでしょうか。