日本社会の活力低下と失業率悪化を招いた基本的課題 国策により衰退させられた個人商店の祟り?  2009/ 3/ 5



☆先日、2009年1月時点での日本国内に於ける完全失業率が、昨年10月以来の世界同時不況/株安の影響により、4.1%にまで悪化した、と報じられておりました。
しかし諸外国の失業率はもっと深刻で、2月時点の各国の速報では、ドイツ7.9%、アメリカ8.1%、オーストラリア5.2%、EU(1月)7.6%などとされております。

 この、アメリカ発の急速な景気の低迷で、今後も失業率や有効求人倍率は、より悪化すると予測されており、来年度以降の新卒求人などにも、多大な影響が出てくるものと思われます。
もちろん、日本の失業率悪化の傾向は今に始まったことではなく、1990年代のバブル崩壊後、『就職氷河期』とか『中高年のリストラ』などと報じられ、就業環境の悪化が大々的に問題になった時期から、ずっとその底流は続いていたわけで、特にここに来て、それが再度顕著になったわけです。

 そして就業問題の中でも特に今社会問題化しているのは、非正規雇用労働者に対する一方的解雇や雇い止めの問題であり、これら社会的に弱い立場にある人達に対する社会のセイフティネットの整備の遅れが大きな課題となっております。 この問題に対しては、早急な手立てが必要であることは論を待たないところでありましょう。

 しかし、ここで問題にしたいのは、もっとより長期的な観点から、日本社会の就業状況を俯瞰してみた場合、より深刻な問題が生じて来ており、それに対する抜本的な取り組みが早急に必要であるということを論じてみたいと思います。

 その問題とは、国内において若年労働者の就業率が90年代以降、ずっと低迷、悪化傾向にあるという現象、所謂『若年失業率問題』です。 日本においては、1990年代から若年失業率(15歳〜24歳の失業率)は継続して増加に転じ、最近は10%を遙かに上回る数値で推移している、といいます。つまり、完全失業率の倍以上の値となっているのです。 古くは『親の脛齧り』そして最近では『ニート』『パラサイトシングル』などと呼ばれていた人達が、もはや冗談半分では語れないくらいの、深刻な社会現象として問題化してきています。
しかし、その根本的な原因についての分析や具体的な取り組みについては、これまで表面的なレベルでしか行われてはおらず、このテーマは、根本に大きな課題を含んでいるにも拘わらず、ずっと放置されたままであり、将来において、必ず大きな社会コストとして跳ね返ってくる筈なのです。 世界的に見ると、他国、特に開発途上国においても若年者失業率は比較的高い傾向にありますが、日本のそれは、また別の課題が内包されている模様なのです。

 この、若者が職に有りつけないという、『未就業』の問題がクローズアップされている一方、今の若い人達の中には、辛抱が続かない、とか、元々やる気がない、社会人としての常識がない、などの評価を一方的に下されて、職を転々としたり、定職に有りつけなかったりしている人達がまた大勢いることも事実なのです。若者の『労働力としての質の低下』もまた問題化しております。
しかしこれを『本人が悪い』と一方的に切り捨てることもまた早計に思われます。 弱者や不適合者を、内容も吟味せず一刀の元に切り捨てることは、それこそ弱肉強食の社会であることになるのでしょうから。
 これらの、一見、不安定不確実な労働しかしない、できない人達は、やはりいつの時代にもいた筈なのです。 過去の社会において、彼等はどういう位置付けで存在していたのでしょうか。
じつは、このことを考える事が、今後の労働政策において、一つの大きな切り口が見えてくると思われるのです。


 90年代以降の日本において、グローバル化という大義名分のもとに一方的に進められた『規制緩和政策』によって、それまでどこの町でも比較的元気だった『まちの店やさん』が、次第に追い詰められ淘汰されて、成り立たなくなってきています。 一昔までは賑やかで人通りも多く華やかだった地方都市の目抜き通りが、今は見る影もなく寂れた姿を晒している光景は、枚挙にいとまがないほどに全国的な広がりを見せているのです。

 そして、これらの場所で永年営業してきた零細な個人商店は、家業として成立し得ていたが故に、そこでは例えつつましくとも、従事していた人達の生活は、一応は成り立っていたのです。 そして彼等は、個人商店主とその家族、そして店主などの兄弟や親戚の者達とその家族が共同体を形成して、生計を立て生活しておりました。
 その共同体の中で、彼等の行動基準となるものは『社会規範』であり、人と人とは個人的血縁的な絆で結ばれていた訳です。その中では、例え少々規格に外れた(社会的適応能力に問題がある)人達が存在していても、身内のことであり、それなりのバランスを取って、皆就業していた、つまり、小規模な共同体の中での相互扶助が、それなりに成り立っていたわけなのです。
 そしてその共同体が成り立っている限りにおいて、それらの人達が、その外の世界へ出て行かざるを得ない状況は、比較的に少なくて済んでいました。 サラリーマンに向いた人はサラリーマンに、自営が好きな人は自営業と、夫々の生活とライフスタイルが、社会的なバランスが取れた形で成立しておりました。

 然るに、政府の主導によって、規制緩和に名を借りて無理矢理押し進めたアメリカナイズにより、大型店や量販店が地域の実情などお構いなしに出店し、その暴力的資本力にものを言わせ、市場を根こそぎ奪い去ってしまったのです。 それによって壊滅的な打撃を受けた、特に座売りの物販を中心とした零細な個人商店は、廃業や転業を余儀なくされ、次第にその家族的共同体の成立が困難となりました。 特にバブル崩壊後、1990年代に入ってからは、急速に個人商店の成立が困難となり、廃業に追い込まれるケースが目立って増加してきたのです。


 
    総務省統計局 労働力調査 長期推移より

グラフでお解りいただけるように
1955年に2300万人、今から50年前の1959年でも2000万人以上、全就業者の半数に達していた国内の自営業者は、その後徐々に減少してゆきました。特に家族従業者の減少が顕著であり、それに反比例して一般企業への就業が増加しております。 
※1959年自営業者計2085万人(全就業者中のウエイト48.1%) ⇒ 2008年自営業者計831万人(全就業者中のウエイト13.0%) 自営業者は、50年間で60%も減少しているのです!

自営業の中でも、特に物販業の減少が大きく、かつては人で賑わっていた各都市の目抜き通りも現在ではシャッター通りとなっているところも多く、頑張ってオープンしている店舗でも、その業種の数をカウントしてみると非常に減少しており、商店として成り立つ業種そのものが少なくなっていることが理解できます。
(今、商店街で、時計屋さん、荒物屋さん、本屋さん、八百屋さん、米屋さん、電器屋さん、呉服屋さんなどが何軒残っているか探してみてください。 30年位前に比べて、非常に少なくなって来ているのがお解り戴けると思います。)
 同じ自営でも、外販営業や、工事などのウエイトが高い業種は比較的ましではありますが、後継者問題など、今後の存続についての課題も多岐にわたっていると聞いております。

 そして、個人商店が成り立たなくなってゆく中で、否応なしにその家族従業者たちは、所謂『サラリーマン』として、赤の他人の企業の中へ、生活の糧を求めに行かざるを得なくなりました。 しかしそこでの意志決定の基準は、それまでの身内の中では当たり前であった、ウエットで情緒的な『社会規範』ではなく、ドライかつ合理的な『市場規範』によって運営される世界だったのです。
そこでは、100%他人として、厳とした社会的規律が求められ、家族内では通用した温情的な考えは排除されざるを得ないのです。

 当然、一部の人達には、そこに相当な不適合が生起することとなります。
家族内では、なあなあで済まされていたことが、企業社会においては、それは怠惰や非効率、不服従の証であると見なされることとなります。 『今日は頭が痛いから休ませてください』が3回続けば、身内では『しょうがない』で済まされますが、企業では『もう来なくていいよ!』になってしまうわけです。

 つまり、人間の多様性から見て、サラリーマンとして不適合な人達(たとえ他の面で優れた資質を持っていたとしても)は、ある程度の確率で必ず存在するわけであり、過去、比較的多様性が確保されていた社会においては、彼等はどこかにその居場所を見つけることが、十分に出来ていたのですが、行き過ぎた規制緩和の影響で、社会が効率を求める余りに、過度の画一性や規律を人間に要求する現代においては、結果として彼等が不適合を起こしてしまっていると理解できましょう。
もちろん、画一化社会に対する不適合な人達の存在は、上記の例に示した個人商店からだけではなく、農業や漁業といった業種に対しても当てはまるのです。
 真面目にこつこつ働いているが税金をあまり納めない自営業者の人達が、国や官僚から目の敵にされ、ほぼガラス張りで税金を徴収できるサラリーマンに、強制的に商売替えさされて来たつけがたまった結果が彼等である、とも言えるのです。
 問題なのは、サラリーマンとして規格外の彼等ではなく、行き過ぎた効率と画一性を求める社会にあると考えるべきでありましょう。
そしてそのことが、現代社会の諸課題のひとつのベースとなっているわけなのです。

 アメリカ型(より正確には、アメリカピューリタニズム型、と言うべきかも知れません)、弱肉強食型/効率至上主義型モデルが間違いであったと、昨今の世界同時不況で、やっと世界中があらためて気付いたとされ、今回の震源地の米国でさえもが、オバマ新政権として、様々な社会規制の必要性を認めつつあります。 もはやハイエナやハゲタカの野放しは、許されない時代となったと言えるのでしょう。

 当然、小泉政権以降、これまで日本で行われてきた極端なまでの規制緩和に対しては、その社会的バランスの回復と是正の為に、相当思い切った、大胆な規制を、大企業や大規模店舗に対して設けることが必要となりましょう。
 今後の日本が、過去の活力を回復させ、長期的視点に立った雇用の安定と、内需主導型の安定した社会を構築する為には、自営業の復活、特に個人商店の活性化を図ることが最も重要であると考えられるのです。 元気な『まちの店やさん』の復活が、その鍵となる訳です。
現在、アメリカにおいても街の個人商店は壊滅的状態にあるそうですが、逆に、ヨーロッパ各国においては元気な小規模店が数多くあり、同じ西欧でも対照的な傾向を見せております。
日本も、アメリカではなくヨーロッパを参考にした、人間の多様性が確保され、バランスの取れた社会を再度構築してゆくべきではないでしょうか。

 多様な価値観と能力を持った若者に、多様な働く場所を提供し、日本社会の活力を回復させる為『まちの店やさん』を復活させるべし!

※些か極端な案ではありますが、今までの規制緩和政策の間違いを一気に是正させる一例として、これくらいな強烈な規制『超強化』が必要と思われます。
◎300坪以上の大規模店舗の営業時間について、年間休日を100日以上、一日8時間以内の営業とする
新規出店は今後20年間凍結、現店舗の増床や改築も完全凍結
◎入居しているテナントへの締め付け厳禁と入居条件の大幅緩和
◎仕入業者、協力業者等への不当な締め付けの厳禁と違反時の罰則強化、企業名公開
コンビニの営業時間規制、7〜23時以外の開店を原則禁止
等々
これらについて、社会システム活性化とセイフティネット拡充、就業機会拡大のため、早急な実施が必要です。

※もちろん、大企業べったりの今の自民党と経産省からは、景気浮揚策に反する、だの非現実的、だのといった異論が百出することは当然でしょう。 彼等には目先のことと自分達の利権のことしか頭には無いのですから。
しかし長い目で見た場合、過度の資本の集中は、メリットよりも弊害の方がより大きくなることは今の世界が身をもって証明しているのです。
日本社会のサステナビリティを確保する為にも、思い切った施策を行うべき時なのです。
 (この観点から見た場合、将来若し民主党が政権を取ったとしても、岡田氏が総理大臣に就任することは、絶対にさせてはならないことだと言えるかも知れません。)

 そして、上記と同時に、農業や漁業、林業などの、基幹産業の分野にも、人を戻ってこさせる施策が必要です。
そのためには、『仕事』に対する価値観の多様化をもっと進めるべきであり、サラリーマン以外の仕事の良さなどを、もっともっと子供の頃から知らしめることが大切だとも考えられます。
 日本人の多様性の確保のためにも、文部科学省なども学校教育の場などでも一肌脱ぐべきだと思います。






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