バンクーバー冬期五輪終了 国家スポーツ戦略なき日本は当然惨敗!   2010/ 3/ 5



『やっと』冬季オリンピックが終わりました。
楽しみにして見られた方には、『やっと』という表現は不適当なのかも知れませんが、筆者にしてみれば、テレビをどのチャンネルに変えても、カナダからの競技中継かその録画や解説番組が流れており、いつも見ている通常の番組が五輪中継に変更になったりして、何か、個人のささやかな楽しみがオリンピックに奪われてしまった気がしておりました。

 それでも、日本勢が大健闘したり、メダルが続々取れたりしたなら、まだワクワク気分も湧いてこようと思われますが、大惨敗した前回と比べればメダルの数は増えたとはいえ、金メダルは一つも取れず、逆にお隣の韓国や中国勢の健闘が目立ち、またアナウンサーが興奮気味にしゃべり立てている割りに、一部の競技を除いては些か感動の乏しい上滑りな報道が鼻についたのは筆者だけでしょうか。
もちろん、参加した各選手にはエールを送りたいと思いますし、それぞれが努力され健闘された事にも、拍手を惜しむつもりは全くありませんが。

 例により今回も、国別の獲得メダル数と、人口割り(人口百万人あたりのメダル数)の一覧を載せました。


この表で見ても、如何に日本がスポーツ後進国なのかがわかりますね。
メダル獲得数では5個/16位に終わり、金が全く取れずまた人口割りを見ても、日本より下は中国のみであり、そして彼の国は分母が巨大すぎるためにそうなのであって、実質的には、日本は人口割りでもワーストと言わざるを得ないでしょう。

 冬のスポーツですから、『雪と氷の国』の北欧勢や地元カナダなどの優勢は理解できますが、その中に、最近は中国や韓国選手の入賞が目立ってきております。

 これらは、過去から言われているように、国としてのスポーツに対する力の入れよう⇒金のかけ方 に大きな差があり、共産党一党支配の中国などは国策として、旧ソ連と同様の国威発揚の場と捉えて集中した資本投下も行っておりますし、韓国にしても、国家戦略の中で具体的な位置付けをもって、スポーツ選手の育成を、大金を投下して進めている訳で、いわば当然の結果が出ていることになります。

 あわせ、特に中国などは、オリンピックそのものを『メダル獲得ゲーム』と位置付け、如何に効率的にメダルを沢山取るかに、戦略的な取り組みを行っているのは有名な話です。
 カーリングなど比較的マイナーな競技に対しては、国権を発動したチーム作りを行っているそうで、中国の女子代表はみな、16歳を過ぎてから国の指示でカーリングを始めたと聞き及んでおります。
趣味の延長でのオリンピックでなく、国の命令で『仕事』としてコーチもチームも体張ってやってるわけですから、今後、メダルをしっかり獲得してゆくものと思われます。

 クーベルタンの理想? はははは、てなもんでしょう。 いやはや。


 一方日本では、民主党の『事業仕分け』などの影響で、スポーツ強化費も相当削られ、メダル獲得の希望がかかる有力選手でさえ、思うような活動が出来にくくなっており、今回もその明暗が、はっきり結果に表れております。

 以前から言われているように、中国や韓国をはじめとする相当数の国では、金メダル選手などは、一生遊んで暮らせるだけの報償が得られるといい、一方の日本では、名誉的なものは別として、実生活でのプライズは微々たるものである、と聞いております。

 オリンピックが始まると俄然注目されるけれど、普段は全くマイナーな存在であり、地味で地道な活動しかできず、生活の糧も別に稼がねばならない現状の日本と、国や団体が全面的にバックアップして、生活の面倒まで見てくれる外国との格差は、開く一方となっており、各個々人の選手が、如何に才能があり努力しようとも、置かれたスポーツ環境が、冷淡で劣悪なものであるなら、このままでは日本はメダルを全く取れなくなってしまう可能性もあります。

 この日本のスポーツ選手に対する冷淡さは、石門心学や葉隠れ精神などの影響なのかとも思えますが、それも程度の問題でしょう。

 アマチュアは、金銭や名誉などの雑音からは、孤高の存在たるべし!
 心頭滅却すれば火も又涼し! 根性だ根性!
 敵機を打ち落とすのは銃弾ではない。精神力だ!


建前は別として、いまだにこんなレベルでアマチュアスポーツを捉えている政治屋さんや役人さん、企業のトップなどが多いのではないでしょうかね。
単なる『遊び』としてしかスポーツを認識出来ていないのでしょう。

 ただ、広い視野で見た場合、そういう考えも一つの選択肢であり、国情と国力に見合っただけの取り組みをすればよいのかも知れません。日本も、百年前はそういう状況だったのですから。

全ての競技において満遍なく好成績を残さねばならない、という必要は全くない訳で、やはりお国により得意不得意はあって当然でしょうから。
 ただその場合、政治やマスコミはもっと自重すべきでしょう。都合の良い時だけ選手を囃し立てて、政治家が自己PRに利用したり、テレビ局が視聴率稼ぎに活用したりするだけの盛り上げでは、真面目に取り組んでいる当のスポーツ選手はたまったものではありません。

 やはり、国はどこまで国民のスポーツ振興に取り組むのか、どのスポーツを強化するのか、或いは取り組まないのか、先ず戦略を明確にして、国民のコンセンサスを得た上で、その予算額や配分を決めてゆくべきでしょう。 『健康増進のためスポーツしましょう!』などというあやふやな標語だけでお茶を濁してはいけません。

政府による事業仕分けも、それなりに意義はあるでしょうが、いつまでも『スポーツ漂流国ニッポン』を放置されては困ります。


 最近、『○○ジャパン』などとよく使われますが、少なくともスポーツ振興における日本の現状は『ドリフタージャパン』なのでしょうね。








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