私のアマチュア無線歴 U 2006/1


◎4エリアへの帰郷、HFからVHF・UHFへ

昭和50年春に仕事の関係で2エリアを離れ、家族3人で10年ぶりに実家に腰を落ち着けました。
私は学生時代を含め、それまで10年の間郷里をはなれており、久方振りの故郷でした。
そして家に帰って、早速上げたアンテナは21MHzの3エレ八木でした。

今回は社宅ではなく親の家であり、ある程度の自由はきいたので、早速HFのアンテナを購入し、ルーフタワーで屋根に上げ、全国の局とQSOを始めました。
当時はサイクル21の始まり頃であり、余りお空も開けてはいなかったのですが、それでも夏場は結構全国と交信でき、各地の方と様々なQSOを楽しむ事が出来ました。
しかしやはり10W機のパワーでは海外とコンタクトは事実上出来ず、もっぱら日本語のみでラグチューしておりました。
そしてひと夏が過ぎ、年末頃になると一通りの全国とのQSOにも飽きてきて、何か新しいことが無性にやりたくなりました。

ちょうどその頃は144MHz帯のSSBが賑やかになりだした頃で、CQ誌やモービルハム誌でその特集が組まれたりしておりました。
たまたま私の実家は小高い山の上にあり、見通しは抜群であり、ローカルさんに言わせるとHFよりV/Uをやるに限るとの話もあり、またタイミング良くTRIOから2m(144MHz)オールモード機の新製品(TS700GU)が発売になり、またまた冬のボーナスでそれを購入してしまいました。
そして同時に選んだアンテナは、TET(タニグチ)のクロス八木のスタックとしました。
このアンテナの給電部はガンママッチを使用しており、比較的簡単に同調を取ることが出来ます。
普通の八木アンテナは各局が多数使用しておられ、それでは余り面白みが無いと考え、これを思い切って屋根へ上げてしまいました。
当時の2mSSBでの遠距離通信は垂直偏波が主力でありましたが、クロス八木は円偏波(TETの当時の製品は正確には左旋偏波)であり、近距離〜中距離までは垂直八木と余り変わりはありませんでしたが、複数の反射等により偏波成分が乱れている遠距離との交信には多少の効力は発揮された感じでした。
しかし、やはり1本のブームにエレメントが20本つくのは取り回しと重量で多少不利ではありました。
ただ、各局が数十W〜200W以上を掛けている(OverPower局は当時も結構おられました)中、やはり10Wでは余り飛んではくれず、以前いた2エリア辺りまでがやっと交信できる範囲でした。
そしてそのうちこれにも限界を感じ、今度はVHFから、それまで殆ど誰もやっておられなかったUHFへ上がってみたいと思いはじめました。

CQ誌の広告などを研究し、当初購入したのは430MHzへのトランスバーターの組み立てキットでした。
HF機を親機として、430MHzSSBへのオンエアが可能となる機械です。
当時の金額で4万円程度したと記憶しておりますが、余り測定器が無くても制作可能なキャビティ方式のトランスバーターであり、失敗の確率は低いと踏んで思い切って購入し、早速組み立てる事にしました。
同時にアンテナも設置しましたが、こちらは簡易的にマスプロの12エレのスタックとし、2mのアンテナの上にちょこんと乗せただけの簡単なものでした。
慣れない手つきで数百箇所半田付けをし、やっと機械を組み上げ、HF機につないでバンドをワッチしました。
しかし何も聞こえてきません。  正常に動いているのか壊れているのか高周波用の計器が無いのでさっぱり解りません。
当時は、430MHzまで測れる周波数カウンターや、ましてSGなどは夢のまた夢でした。
また430MHz帯のFM局は多少おられたようですが、こちらの周波数がFMバンドまで上がりませんでした。
そして数日間ずっと聴取をつづけ、やっと一局の信号が入ってきました。
やった!やっぱり壊れてなかった、と安堵し、その局のラグチューが終わったのを見計らって声を掛けました。  直ぐに応答があり、送信部も正常に働いている事が確認できました。
相手は兵庫県加古川におられるOMさんでした。
この局から色々な情報をいただき、各局の良く出ている周波数帯や時間帯を確認しました。
そしてこのQSOを契機としてその後は面白いように各地の局と繋がるようになりました。

当時は、430MHz帯SSB機の完成品を市販している会社は一社しかなく(BelcomのLiner430)繋がった局の大半はこれを使用しておられ、またHF機からのアップバーターを自作していた局も少々いました。
小さなアンテナでしたが、思わぬ距離の遠方とつながり、144MHzよりも遠距離の交信が出来ました。
こうなると俄然面白くなり、UHF交信にのめり込んでゆきました。

またこれとは別に、この頃からローカルさんと一緒に近在の山の上に移動し、2mを中心に移動運用も開始しました。
これも最初はモービルFM機とホイップでの運用から段々エスカレートし、固定機を持ち込み、八木を持参し、発々を回し、ローテーターも使う様になるなど、当時から賑やかになりはじめた夏のJARL主催コンテスト(6m&DOWNやフィールドデー)への参加を含め、ローカルさん共々どんどん燃えていった頃でした。

そして初の430MHzオールモード機がBelcomから発売になり、1エリアや3エリアで評判になってくると、また矢も楯もたまらず購入してしまいました。
この機械は、Liner70Aという、当時としては大変斬新なアイデアで設計された固定機です。
メンテを考えて全てのユニットを基盤ごとブロック化して作られており、上蓋を開けると整然とブロックが縦置きに並んでおり、今までのどの機器とも全く違った独自の構造を持っていました。
この機械は意外と頑丈で、その後長年、固定運用は勿論、移動にも何度も荒っぽく使用しましたが、不具合は殆ど出ませんでした。

それと同時に固定局のアンテナのグレードアップも行い、12エレ4列2段(8本)とし、それもメーカーの規格ではアンテナ間が1波長(70cm)の所を、1.5波長(105cm)として電磁開口面積を広げたものに改造して上げました。
このマスプロのアンテナは分配器以降が75Ωの同軸を使用したQマッチ構造になっており、同軸を延長させるのにもmm単位の工作が必要でした。
※今は分配ロスなどを考慮して、UHF帯のアンテナは20エレ以上のロング八木が主力ですが、当時の430MHz帯のアンテナは11〜15エレが大半の比較的短いものが多く、価格も廉価であったと記憶しております。  ( 特にこのアンテナは皆『ヤスプロ』などという愛称?で呼んでいましたね (^^♪ )
その苦労の甲斐あってか、このアンテナはマッチングも大変良好で、最終的に1エリア(関東地方)まで飛んでくれました。
それも430MHz帯として全国初の1エリア〜4エリア交信を行なう事が出来、島根のJA4BLC又賀氏が全国初の430MHzでのAJD(全国の10のエリア全てとの交信)を達成される2ヶ月前に4エリアから1エリアまでの交信を成功させる事ができました。
ちなみに、このアンテナは残念ながらその後の台風がきっかけで壊れてしまいました。

当時は、ローカルさんとのQSOはもっぱら144MHz帯のFMで行なっておりましたが、この頃から皆さんに『430MHzいいぞ!空いてるし良く飛ぶし、みんな上がれ上がれ!』と盛んに宣伝をしておりました。

山の上という実家のロケーションを生かして、しばらくUHFの交信を楽しんでおりましたが、その最中、昭和52年の秋に、家内と子供二人と一緒に、多少交通の不便な山を下りて、町の真ん中に移り住む事となりました。


  (この項 つづく)







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