私のアマチュア無線歴 W 2006/2


◎2アマ受験とSSTV/FAXへのQRV、パケット通信への誘い

衛星通信のシステムが揃ってからは、ほぼ連日オスカーに出ておりましたが、その後1979年9月にJARL岡山支部が主催する『特殊無線研究会』という会合が岡山市内であり、その時に衛星通信のこともやるのでゲストで来てほしいとの依頼があり、参加することとなりました。
会場には、数十人の県内アマチュア無線家が聴講に来場しており、皆さん熱心に講師の話を聞いておられました。
 また衛星通信と同時に、SSTVやRTTYの事も紹介されましたが、こちらは当時は2アマ以上でしか運用できないものでした。
しかしその時にSSTVのデモがあり、残像式の丸いブラウン管にカメラの画像が映し出され、これがHFで音声と同様に世界中に届くという話を聞き、大変感銘を受けました。  テレビといっても、8秒一コマで走査線は250本、アスペクト比は1:1で白黒画面といった、動画ではなく実際は静止画の連続ですが、その代わり3000Hzの音声の帯域幅で送れるメリットがあります。  (現在のSSTVの規格は、これとはまた違うものが多くなっております)

 その時までは、上級の資格については全く興味が無かったのですが、SSTVなどをやる為には最低2アマの資格が必要(当時の事です)との話であり、今後もアマチュア無線を続けてゆくのであれば、やはり上級は取っておかなければ、という気になってきました。
しかし、皆に吹聴して、結局取れなかったら恥かしいと言う想いがあり、ローカルさんの誰にも言わずに、こっそり資料を取り寄せ、受験準備に入りました。
当時の2アマの試験は、筆記は現在の様な択一式ではなく記述式であり、電信についても1分間45文字の欧文送受信の実技がありました。
特にモールス符号はそれまで全く覚えておらず、ゼロからの学習となりました。
ある方から情報をいただき、某OMさんが練習用のテープを作成/配布していると聞いて早速送ってもらい、それを聞きながらレポート用紙に書いて行く練習を始めました。
当然の事、最初は全く聞き取れなかったのですが、少しづつ解るようになり、レポート箋2冊の表裏を全部使い切る頃には、何とか50文字程度は取れるようになっておりました。  同時に、オスカーのテレメトリ(モールス符号数字の羅列)を意識して聞き、数字受信のトレーニングとしました。
あわせて、試験の2ヶ月前くらいより、学科の勉強も始めました。  こちらは上級ハム用の読本を参考にして、過去問題集を解いて行きました。
どうせ受けるなら、やはり一発合格を目指し、実技と学科の双方に注力しました。
勿論、ローカルさんには全くの内緒です。
試験間近になり、ローカルQSOに出る余裕が無くなって来て、『最近余り出てこんね〜』などと言われ、ひやりとした事もありました(^^ゞ

いよいよ80年4月、国試受験に広島まで行きました。
午前中が学科の試験でした。  会場の広大工学部(今は移転しました)のキャンパスで昼食の弁当を食べていたら、直ぐ近くに見慣れた顔が!
あれ〜! 何と某ローカルさんも受けに来ていました。  お互い素知らぬ顔で普段ラグチューしていたのが、当日ばったり会場で顔をあわせてしまい、二人とも大笑いしてしまいました。
午後からCWの送受信実技テストです。  先ず送信試験があり、続いて受信です。  大変緊張しましたが、何とか合格圏には達したようでした。
帰りはローカルさんと一緒に、広島のパーツ屋さんへ寄って帰りました。
 暫くして合格通知が来、免許証を申請しました。  これでやっとSSTVにQRVできます。

しかし当時も技術革新はハムの世界にも押し寄せてきており、SSTVの機械も、それまでの残像式からRAMに画像を蓄える『スキャンコンバーター』方式に代わりつつあり、色々調べた結果、SCのキットを購入することとしました。
『NASA』(といってもCBやさんではありません。九州地方のSSTV愛好家の団体です)が基盤を起こして部品と一緒に発売しておられ、それを送っていただき、また慣れない半田ごてを握って作り始めました。
今度の基盤は過去に作ったトランスバーターよりもっと大きく、今の最大クラスのATXマザーボード位ありました。
ハンダする箇所も1000箇所以上です。  夜な夜な少しづつ組み上げ、2ヶ月くらいかかって何とか完成させました。
同時に、白黒のTVカメラとモニターを入手する必要があります。  こちらは仕事のつてで中古を何とか段取りすることが出来ました。
やっとシステムが揃い、電源を入れました。  先ず、SCをスルーさせてカメラの画像をモニターに写します。  これは当然成功。
次に、カメラの画像をSCに取り込みます。  そしてその静止画像をモニターに出します。  う〜ん、写るには写りましたが、何か縞模様になっています。
どう調整しても縞模様が取れず、仕方なくNASAのOMさん(主催者の方)に電話して相談しました。
『ああ、それはRAMのバラツキでしょうね。送り返してください。交換します』との事。  やれやれ、取り敢えず安心です。
早速RAMを抜いて交換していただき、今度はうまく写りました。  これで晴れてSSTVにQRV出来ます。

 事前に局免の変更を出しておりましたので、あとは無線機と繋ぐだけです。
14.230MhzでCQSSTVのテロップを送信すると、早速3のOMさんから応答いただきました。  1981年の事でした。
こちらは慣れない手つきで慌しくテロップや写真を取り替え送信しましたが、先方は手際良く幾つもの画像を送ってこられ、何とかQSOに成功しました。

その後、全国の各局ともQSOしましたが、やはり大半の方はSCを使っておられ、合わせ、文字を送れるように『キャラクタジェネレーター』も併用しておられました。  しかしその装置も買うとなると数万円するとのことでした。
何とか工夫できないかと色々調べ、ローカルさんの協力もいただき、結局PC−8001をキャラジェネ代わりに使う事とし、PCとSCを繋ぎ、PCで画面に大きく文字が出るようにしたものをSCに写す事で代用して使っておりました。

 また、その頃からアマチュアFAXの記事がぼつぼつ載る様になり、改造も比較的簡単な模様で、こちらにも手を染める事となりました。
先ず最初に手掛けたのは 『PANA2000』でしたが、当時の岡山では改造の為の部品が入手できず、結局これは某OMさんへQSYしました。
その後『PANA3000』を入手し、色々改造して遊びました。
この機械は中間調の出具合も良く、2mFMでの送受信だと、殆ど原版に近いクラデーションを得ることが出来ました。
ただ、家庭に置くにはびっくりする位大きく(60cm角程度)シャックでの置き場所には困りました。  これは計2台を改造しました。
その後『PANA4500』も手に入れましたが、これはそのまま使える(電波形式はA9C)為改造せず、少し実験しただけで手放しました。
当時、このPANAの系統とは別に、昔の電電公社の『MiniFAX』の改造も流行っており、こちらへのQRVも誘われましたが、さすがにこれはパスさせてもらいました。

これらの通信の電波形式は、当時はSSTVはF5、FAXはF4と表記されておりました。
電監への申請にも『送信機系統図』を付与する必要があり、変更や再免許の時には結構大変でした。

勿論、衛星経由でもこれらF4やF5の電波でのQSOは可能であり、特にAO−13を使用して、OverSeaとのSSTVでのQSOも何局か成功しました。
しかしFAXは兎も角、SSTVでのQSOは、当時のSCには予め画像を沢山溜め込んでおくことが出来ず、大変あわただしいものがありました。
現代のカラーSSTVが、パソコンを使用していとも簡単に出来るのを見ると、本当に隔世の感があります。

私がFAXだのSSTVだのとやっている時、オスカー仲間のローカルさんは、アメリカで流行り出したアマチュアバンドを使用したデータ通信『パケット通信』を始めておりました。  何かこれも面白そうです。
盛んに勧められましたが、またKITを組み上げる必要があるとの事で、しばらく躊躇しておりました。
その後翌年になって、そのパケットの機械(TNC)の完成品が市販されるとの事、いよいよこちらにも足を踏み入れる事となってしまいました。



  (この項 つづく)







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