私のアマチュア無線歴 X 2006/2
◎アマチュアパケット通信を始める
アマチュア無線家がパケット通信に取り組み始めたのは例によってアメリカのハムからで、1982年頃からアマチュアバンドと無線機を使ったデータ通信が始まっておりました。
そしてそれが日本に伝えられ、ぼちぼち記事になり出したのは1985年頃からの事でした。
国内で最初にパケット通信を始めたグループの一つにJAMSATのメンバーの方がおられ、JAMSAT会報やMH誌などにその紹介記事が掲載されました。
中国地方では私のオスカー仲間のローカルさんが、その記事を参考に早速トライを始められ、アメリカからTNC(TAPRのPKT−1)のキットを取り寄せ、早速組み立てて実験していました。
『大変面白いよ』と、盛んに勧められましたが、丁度仕事も忙しくなった時期と重なった事もあり、しばらく躊躇しておりました。
その翌年の86年になると、いよいよ国内でもTNCの完成品が売り出されました。
WARDというメーカーが、TNC2のライセンスを取得してクローン機を日本で発売しました。 PK−80という型番で、5万円弱したと記憶しています。
CPUにZ−80Aを使用し、クロックは約2.45Mhz又は4.9Mhz、AX.25プロトコル、Bell202のモデムを搭載し1200bpsでの通信が可能でした。
私もとうとうこれを購入し、PC−8801Mk2にRS−232C経由でつなぎ、アナログの入出力を無線機に接続しました。
殆ど調整する箇所も無く、意外とあっさりローカルさんとコンタクトし、データのやり取りを行なう事が可能でした。
今まで、いろいろ人がやってない事に手を染めてきましたが、これで今回も、岡山県内で3局目のアマチュアパケッターとなってしまいました。 (~_~;)
しかしやってみると結構面白く、ローカルさんと一緒に岡山県南の山の上にデジピーターも設置し、そこを経由して3エリア〜6エリアまでコンタクトする事が可能となりました。
また、そのローカルさんが音頭を取って『NET−ROM』を使用した実験も行ない、各地の同様のデジピーターとのリンクを成立させる事も出来ました。
その後、国内のアマチュア無線界では、一時このパケット通信が大変流行り、各局が競ってTNCを設置してBBSを運用する事がブームになり、特に430Mhz帯の各チャネルでは ビーッ というパケットの音が四六時中流れており、私の場合も、結局、計4台のTNCを購入し、簡易的なBBSも開設しておりました。
パソコンも、途中から16bit機のPC−286Vに変更し、ターミナルソフトとしては、M−TERMを主に使用しておりました。
衛星通信の世界にも、勿論このパケット通信/データ通信が普及し始め、その後はG3RUH方式(9600bps)での受信や、JAS−1などとのパケットデータの送受信も行なっておりました。
また、パケット通信にも様々なModeが加わり、FSK1200bpsだけでなく、主にHFでの交信用として300bpsや、PSKなども使われだしておりました。
まだこの頃は、パソコンを使用した有線のデータ通信は電話用のカプラーを使用した300bpsが主であり、このパケット通信は、その後普及してゆくniftyやPC−VANなどのパソコン通信に先行/並行して始まり、それがその後のWindowsとNetscapeが口火を切ったインターネットの爆発的普及につながって行くさきがけとなったものでした。
現代においては、インターネットでのデータ通信はGigabitの時代を迎えており、当時の1200bpsから早くても9600bpsのスピードとは全く比較にはなりませんが、その当時は文書データ等のやり取りが主であり、静止画像や動画などの送受は想定外だった事もあり、結構快適に交信できたように記憶しております。
メールとかBBSとか、既にその頃のアマチュア無線家は経験しており、今のインターネットメールやBLOGなど、皆さん10年以上先取りしていた訳です。
こうしてみると、その後はあっという間の15年20年でしたね。 あのビーッというFSKの懐かしい音は、今は殆どと言って良いほど聞こえません。
今、私の家にほとんど無傷のTNCが2〜3台ころがっています。 これがまた使える日は、果して来るのでしょうか。
(この項 つづく)