追加覚書A 倭国女王卑弥呼の墓についての考察 2007/3/21



☆卑弥呼の墓の所在地について
 
本説では、大分県宇佐市の宇佐神宮亀山の地である、と推定している。
 他氏の説においては、亀山は自然丘であり、菱形池の土をもってしても亀山の容積規模の築造は出来ない、としているものもある。 (現地の伝承では亀山に盛るための土を掘り起こした跡が、その直下にある菱形池であるという)
 しかし全国各地の弥生後期の墳丘墓を見ても、その大半は自然丘の上に盛り土をして整形したものであり、このケースにおいても平地から立ち上げたものと考える必要は全く無い筈である。
確かに、亀山の下部には戦時中に防空壕も作られ、その地の地層の連続性などから見て自然丘であることは確実だとする説もあるが、逆に亀山上部には人工的に整形した形跡があり、そこからは過去に石棺も出土しており、弥生期に築造された墳丘墓であったという論も多いのである。

 鷲ア 弘朋氏のホームページ 『邪馬台国の位置と日本国家の起源』 他、諸氏の説も存在する。

 やはりこの地(亀山丘陵の上)に、倭人伝に径百余歩(約150〜160m)と記されている卑弥呼の墓が築造され、彼女が葬られたという可能性も十分見て取れるのである。

 では何故、この宇佐の地なのか。
この疑問に関しては、北九州の地図全体をあらためて俯瞰してみると、その謎が解明できよう。

倭国女王卑弥呼が君臨したとされる邪馬台国の都の位置は、本説においては福岡県朝倉市甘木付近にあったとしている。そして、この宇佐神宮亀山の地は、その地から見て『当時生起した日食の太陽が昇った方角』に、ほぼぴたりと一致するのである。

 ○宇佐神宮亀山 E131.22.37.05 N33.31.24.17 (宇佐神宮上宮)
 ○朝倉市甘木   E130.39.56.42 N33.25.27.72 (便宜上、朝倉市役所の位置を記す)
 実際の測定では、宇佐神宮は朝倉市から見て 
80.4度の方角、つまり真東より10度ほど北寄りに位置することとなる。 ちなみに距離は67.04Kmある。 (カシミール3Dで計測)

 では何故卑弥呼の墓が倭国連合から見てその方角に作られたのか。 この疑問に関しては、比較的容易く推理ができるのである。

つまり、卑弥呼が死んだとされるAD247年の3月24日に起こった皆既日食は「日没帯食」であり、真っ黒になった食甚の太陽が西に沈むという、大変印象的な天体ショーだったのである。当時でも日食のことは十分知られていた筈であるが、これを『不吉なこと』として当時の人々が認識したことはほぼ確実と思われる。 そしてそれと太陽神を司祭していた卑弥呼女王の死がリンクされた結果、卑弥呼の墓は倭の都から見て太陽が昇る(つまり太陽が復活する)東の方角で、且つ彼女の出身国のエリア(トヨの国)内へ作られたと想定できるのである。
 そして、次の皆既日食(日の出帯食)が生起したAD248年9月5日の太陽が昇った方角が、朝倉市役所(邪馬台国の都と想定)から見て81.5度 つまり、ほぼ宇佐神宮の方角に当て嵌まるのである。 (星空観望シミュレーション StarGazer for Win32 を使用して計算させていただきました)

    

 この、卑弥呼の葬られた場所が、邪馬台国の都から見て日食の太陽が昇った方角であった、という推定は、ただその事だけでは確とした根拠にはならないかも知れないが、彼女が太陽神(天照大神)とリンクされた、という事と合わせて考えると、その可能性は大変高くなるのではないか。 世界各地に残る古代遺跡を見ても、太陽の祭祀に関係のあるものは、イギリスのストーンヘンジなどにも見られる如く、遺跡の位置や構造など、太陽の昇る方角や沈む方向と大変密接に関係している、という事実があるのだ。 日本のみ例外、という事は言えないのではないか。 卑弥呼は、当時の風習に従い長期間の殯(もがり)の後、邪馬台国の都からみて太陽の昇る方角に作られた墳丘墓に葬られたと考えられるのである。
(隋書東夷伝に『死者は棺槨を以って斂め、親賓は屍に就いて歌舞し、妻子兄弟は白布を以って服を製す。貴人は三年外に殯し、庶人は日を卜してうずむ』とあり、当時貴人を埋葬するには3年程度の期間をかけたことがうかがえるのである。)

 また、宇佐神宮から400mほどの距離には「百人塚」なるものがあり、この謂れについては、後世、大和の軍勢が隼人の乱を鎮圧したとき、その地に討ち取った隼人の首を埋めたとの伝承がある。ただこれには異説もあり、一説には「くぐつ集団」の神を祭ったものであるというものもあり、また、別の説では倭人伝に記されている卑弥呼の殉葬者の墓であるともされている。付近からは幾つかの甕棺も出土しており、弥生後期頃に起源を持つ何等かの古い事実が存在する模様である。



  2007/3/21 追記 2007/6/24一部修正 2008/6/25 作図挿入








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