第三章 : 過去の諸賢の未来予測と現実の社会


第三章 : 過去の諸賢の未来予測と現実の社会


1.過去の“未来論”
 1960年代末から70年代にかけて『未来学』ブームというべきものがあった。 米国や日本で、『人間のバラ色の未来社会』について、理路整然とデータを踏まえ、あるいは半ば独断と偏見と希望的観測で、様々な論者が人類社会の未来について語ったのである。 しかしそれはひとつの科学分野として定着したわけではなく、学問分野としても当時は未成熟な段階であり、統一した未来の予測手法や定量化した公式などが具体的に提唱されたわけでもなく、マスコミ等で一時華々しく取り上げられた後、様々な社会的な不安定要因によって、『バラ色の未来』はかき消され、その後は世間的には一時のブームとして、未来学としては一部の真面目な研究者以外、余り省みられることは無くなったのである。 しかし時代の流れはそれとは無関係に、彼等が異口同音に示した、社会の『情報化』の流れを軸として進展してきた。
 その時期の、特に日本の流れについて、経済学者/社会科学者の公文俊平氏は以下に纏めている。
『しかし日本は、戦後の高度成長期が同時に第三次産業革命(情報産業革命)の突破段階の第一期としての意味をももっていたことの自覚が、いささか不充分であったように思われる。いや、むしろ自覚はいちはやく生まれたものの、途中で挫折してしまったというべきだろう。現に、1960年代後半の日本では、未来学ブームの中で、情報化論、情報産業・情報社会論が世界にさきがけてはなばなしく展開された。これらの言葉自体、英語からの翻訳ではなくて、日本語としてまず創られたのである。ところが、1970年代に日本をおそったニクソン・ショックや石油ショックと、それとほぼ同時に起こった高度経済成長の終焉に対処する過程で日本が選んだのは、情報化(第三次産業革命)の推進ではなくて、減量・省資源経営であり、従来の大量生産の努力をさらにいちだんと強化する形でのモノ作りとその輸出への専念であった。つまり第二次産業革命の継続の推進であった。そして日本はそれにもまためざましい成功を示したのである。』 (本格的情報化:日本再上昇の途 より 『NIRA政策研究』 1999年 Vol.12 No.3  ) http://www.glocom.ac.jp/proj/kumon/paper/1999/99_03_04.html 
この時代の主要な論者としては、P.F.ドラッカーが『断絶の時代』(1969年)を著し、彼はその中で知識社会の到来や起業家の時代、経済のグローバル化などを予言し、今後の社会変革のキーワードを『情報革命』に置いていた。
この、未来学ブームの時代のキーワードとして、『情報化社会』『脱工業化社会』などがある。

◎脱工業化社会について
脱工業化社会(Post-industrial society)とは、アメリカの経済学者ダニエル・ベルらによって1973年(異論あり)に提示された概念である。 19世紀以来の工業化の過程が成熟した後、その構造変化の一連を経験した経済学の為に提案された名称で、その社会では様々な知識や情報、創造力などが経済活動の新たなキーワードとなる。そしてそれと平行して情報技術の高度化や革新が図られる、とされている。 具体的には、製造業の成熟化と対照的に、製造業などの二次産業に比して、第三次産業のウエイトが増大する、としている。この概念は現在の『情報化社会』と同義に用いられた。ただ『脱』工業化といっても、情報や(モノではなくコトの)価値やウエイトが相対的に増大しているとは言え、やはりそのベースとなる『豊かな物財』の存在がその大前提となっており、豊富な工業製品の存在と発達、そしてその継続した供給抜きで、情報やコトのみを語る事は勿論不可能である。『脱』という語に惑わされ、一部で言われているモノづくり− 製造業を軽視し、情報のみを重視する風潮(所謂モルタル抜きのクリック)に対し、現代社会のベースとなるモノづくりへの再認識を提案する動きも、ITバブル崩壊以降、盛んに行われており、過去からの第二次産業業種の、製造業への原点回帰についても、古くからアンチテーゼとして提示されている。 (1988:阪急コミュニケーションズ『脱工業化社会の幻想』)

◎情報化社会について
 社会が、情報を重視する動きにあるという論は20世紀中盤にはすでに唱えられていたとされる。 学説としては意外と古く 1962年のマッハルブ『知識産業』にその概念がみられ、日本では梅棹忠夫『情報産業論』(1963年)や、大槻次郎がその概念を提唱している。そしてその流れは堺屋太一『知価革命』(1985年)と続いている。 米国においてはアルビン・トフラー『第三の波』(1980年) などが著名である。 最も典型的な論としては、産業社会(工業社会とも)、農耕社会、狩猟社会などとの対比で語られ、その場合には社会の発展段階のひとつとしての意味合いが強い。 産業社会の成立のきっかけとなった一連の出来事を産業革命と言うことがあるが、これに対して情報化社会の進展を情報革命と称することもある。
より具体的には、次のような根拠で、ある社会が情報社会ないし情報経済だとされる。
 ○情報の製造、加工、流通を主とする産業(情報産業)やそれに準ずる産業が国民総生産に占める割合が大きいこと
 ○情報を扱うことを主とする職種に従事する労働力の割合が大きいこと
 ○情報産業の急速な成長が、経済成長率へ貢献する度合いが高いこと
 ○情報を扱うことを主とする職種に従事する労働力の割合が増大していること
 ○情報産業によって提供される情報サービスや情報処理技術が、その他の諸部門の生産性上昇や競争力増強に貢献する度合いが高いこと
 ○消費財における、情報的な側面が、それ以外の側面よりも商品の価値を大きく左右すること。情報的な側面は、広告によって付加される商品のイメージ、ブランドのイメージ、商品のデザイン(実用的な機能と対照される)、など様々に定義される
 ○情報財の消費量の増加。物質的な豊かさを追求するための消費に代えて、精神的な豊かさを追求するための消費の台頭
 ○情報インフラの発達と共に、企業の立地がより自由になり、事務処理や生産などの機能をグローバルに展開させることが容易になること。また、その為に国際競争や地域間競争における勢力関係が変質する、または変質する可能性があること。
 ○情報財が主となる経済では、従来のような希少性に基づく競争原理が成立せず、共有、共創型の経済に転換すること
 ○情報技術の活用によって、企業の経営形態や労使関係、労働の形態などが変化すること
などが挙げられる。
 他に、政治、文化、生活などの諸側面についても、様々な説が提唱されているが、経済分野の情報化に関する研究に特徴的なことは、情報化の度合いを測定することに対する強い関心である。情報化は果たして本当に起こりつつある変化なのか、それはどのような指標によって最もよく把握できるのか、といった点についての議論は多く、各国の情報化の度合いを比較する統計も多く出ている。
 社会的な影響としては、電子政府、電子投票、政党によるインターネットの活用などが挙げられ、電子民主主義、サイバー・ポリティクスなどといった用語を用いながら、政治のラディカルな変容を描き出す論がある。ケーススタディー、顕著な事例などを先駆的な事例と考えて比較的大胆な議論を展開するものも多い(そうでないものもある)。描き出される情報化社会の政治体制としては、アナーキズムや直接民主主義、グローバル民主主義、市民社会の復権、草の根民主主義、コミュニティの復権、といったものがある。但し、初期の情報社会論、メインフレーム系のコンピュータを想定したものの中には、知識の大規模集積とそれを活用した計画・予測技術の飛躍的発展を予測するようなものもある。また、一般に、情報社会におけるテクノクラシーの台頭、政府の管理・監視能力の増大などを警戒する論も多い。 特にインターネットが社会に及ぼしつつある影響は、やはり一つの大きな変革と捉えるべきである。(ウィキペディア(Wikipedia)より)


2.工業化社会の次に来る社会への諸氏の論 ― 情報が根幹となる社会の到来について ― 
 20世紀の工業化社会の次の段階の社会の実態については、先述したダニエル・ベルの『脱工業化社会(ポストインダストリアルソサエティ)』、ドラッカーの『ネクスト・ソサエティ』、アルビン・トフラーの『第三の波』、そして堺屋氏の『知価社会』 と、論者それぞれの想いを込めた命名をしている。そしてその概念は、やはり『物財よりも情報が重視される社会』の到来を予測或いは予想しているのである。彼等は異口同音に、今後の人類社会において、情報の価値と情流速度、密度共に飛躍的に増大する事を言っている。そしてその大方の見方は結果としてほぼ正鵠を突いていた訳であり、21世紀初頭の現在、彼らの予測した『ユビキタス社会』がほぼ実現している。
しかし彼等の膨大な論説の中には、『情報がキーポイントになる社会が来る』事は書いてあっても、それを実現するためにはどのような条件が具体的に必要であり、そして、特にそれが実現した時点において人類社会はどういう社会規範を持ち何をなすべきか、ということを具体的に示してくれてはいないのである。
 ここで、諸氏の著名な論についてざっと振り返ってみることとしたい。

a.P.F.ドラッカー 『断絶の時代』 1969年 ダイヤモンド社
 オーストリア生まれの経営学者・社会学者であるドラッカーは、その2000枚以上の大作の中で、1960年代から始まった社会のパラダイム変革について捉えている。 それは社会構造の変化として現れてはいるが、経済、政治、教育等の全ての分野において過去の世界とは断絶した(非連続の)社会の到来を予測している。 そしてその最大のポイントは『知識社会』の到来であるとする。彼の述べている知識社会とは、知識そのものを最も中心的な『資本、費用項目、経済資源』とする社会であるとしている。 彼のこの論は当時世界中で注目され、情報化社会の到来を予測するものとされた。ドラッカーはその後もその流れに沿って種々の論を展開し、2005年に死去するまで、現役の経営学者として活動する。2002年の『ネクスト・ソサエティ』においては、『断絶の時代』では将来の事とされていたものを、現実に生起していることとしてより具体的に述べている。ネクスト・ソサエティ(パラダイム変革がなされた後の社会)においては、『経済が社会を変えるのではなく、社会が経済を変える』と述べており、現代の経済偏重主義からの脱却を論じている。同時に、
 ○人口バランスの変化に起因する雇用形態の変化
 ○若年人口の減少による市場の変化
 ○知識社会の到来
主として以上の事項の進展によって、今後の社会は高度な競争社会になると予測している。そしてその中核を担うのは、従来の社会でのホワイトカラーやブルーカラーと呼ばれる人達ではなく、自らの知識を売りものにする『テクノロジスト』であるとしている。同時に、21世紀の最大の不安定化要因は、先進国の少子化(高齢化ではない)に起因する人口構造の変化であるとも述べている。 そして、彼の最晩年の論『ドラッカーの遺言』(2006年 講談社)においての口述で、『現代は“a new era”新しい時代の幕開けであり、それは金融を基盤とした世界経済から、情報を基盤とした世界経済への移行期である』『今求められているのは、異なる価値観が共存する世界が来ること、そしてそれが18世紀以来の世界のパラダイム変革であることを理解すること』と結んでおり、この転換期は、今後30年程度続くとしている。
 彼は一貫して、現代社会のパラダイム変革と、情報を軸とする社会の到来を論じてきたのである。

b.堺屋太一 『知価革命』
◎『知価革命』
1985年に発行されたこの書は世界で9カ国に翻訳され、彼の唱える『知価社会(ナレッジ・ベースト・ソサエティ)』の語は世界においても一般的に使用されている。当時において、アメリカなど世界の一部では既に知価革命が始まっており、やがて知価社会が到来すると予測した。当時世界で最も工業化社会の形成に成功し、バブル期に入っていた日本の現状に対し警告を発し、社会パラダイムの変革を提案した。しかしそれは生かされることなく、日本は『最適工業化社会』のまま1990年代に入り、バブル経済崩壊の後、あらためて社会の抜本的な変革を迫られることとなった。しかし日本はそのまま小手先だけの改革だけで、社会の仕方、仕掛け、仕組みの変更に留まり『官僚主導業界協調体制』に固執しパラダイムチェンジを行なうことはなく、21世紀初旬までその後遺症に苦しむこととなったとしている。
氏の論によると、人類文明の進展における過去の諸段階において、キーポイントとなるのはエネルギーと物財であった、という。古代・中世・(近世)・近代 の中で、古代と近世、近代に於いては、その時代の始まるきっかけとなったのは、エネルギー革命と物財の発見であった。(『知価革命・東大講義録―文明を解く―』) それに対し知価社会とは、『知価創造的な産業(職種)が、経済の成長と資本の蓄積(企業の利益)の主要な源泉になる社会である。』そして、そこに携わる人達の職種の特徴は『いずれの職種も、物財の収集加工に携わることなく、運搬販売接客あるいは警備清掃などの役務にも当たることもない。つまり、決まりきったことを繰り返すのではなく、知的な創造性や分析力あるいは特有の技術技能を使う仕事』である、(堺屋太一『日本の盛衰』PHP新書 2002年)という。
 現代の日本は、世界が知価革命を経験し知価社会へ移行しつつある中で、工業化社会において最適化された体制を未だに捨て切れておらず、その流れに乗り遅れていると分析している。

c.アルビン・トフラー 『第三の波』・『富の未来』
 アメリカの未来学者、評論家、作家である彼は、1970年に著した『未来の衝撃』以来、一貫して人間の辿る文明の流れについての考察と、社会において人の持つべき人間性の在り方について考察を行っている。彼は長期的展望にたった人類文明の未来についての考察を主な活動テーマとしており、社会のパラダイムの変革について、様々な提言や警告を発してきた。『多くの人々は、われわれの知っている世界が際限なく続いてゆくと考えている。現状に安心しきっていて、少しでも未来のことなど考えるのはめんどうだと思っている。自分達が全く今と違った暮らし方をするなどということは、想像することもできないのだ。』

◎『第三の波』 (日本放送出版協会 1980年 )
 トフラーは、「波」という表現で社会パラダイムの変革について言及し、その中で三種類の社会を描いた。そして、それぞれの新たな波は、それまでの古い社会と文化を脇へと押しやるとしている。 その中で彼が論じている第三の波とは、今後の人類社会においては、情報の再生産と発信が最大のポイントとなり、そこに富の集中が起こるとする。
 ○第一の波の社会(農耕社会) 人間社会は農業革命により、それ以前の狩猟採集社会の文化を駆逐し、農耕社会を築き上げた。その中では生産基盤である『土地』が全ての基本であり、土地を所有している者が尊敬され、すなわち『王様』とは土地を持っている者のことを指している。
 ○第二の波の社会(産業社会) 化石燃料によるエネルギー革命と産業革命によってもたらされた産業社会の特徴は、『分業化と規格化』による最適効率の追求であるとする。この産業社会の特色を彼はこう述べている。『大量生産、大量流通、大量教育、マスメディア、大量のレクリエーション、大衆娯楽、大量破壊兵器などに基づくものである。それらを標準化と中央集権、集中化、同期化などで結合し、官僚制と呼ばれる組織のスタイルで仕上げをする』
 ○第三の波の社会(情報社会) 直接的には彼はこの第三の波を『情報社会』とは呼んでおらず『脱工業化社会』としているが、情報の重要性とそれが人間社会における主要な関心事となるとしている。『国家は衰退し、知識が勝利する』『情報は物理的資源の大部分を代替することでき、緩やかに関係している労働者に供される主要な材料となる。』そして情報の多様性に起因して人間のライフスタイルや、望まれる製品やサービスも多様化される、としている。

◎『富の未来』 (2006年 講談社 ハイジ・トフラーとの共著)
 本書の中で彼は今後の『富』(人間が認識する価値)の在り方について、現在各地で起こりつつある、若しくは既に生起している諸々の社会事象を例証しつつ、幾つかのポイントとなる事項に関して考察を行っている。
『現代社会においては、生産性と時間の関係は薄れ、富の基本的要件の最も深い部分にある要因の一つ、時間との関係に革命が起こっており、時間の同時性の崩壊が発生し、同時化と非同時化の間の緊張が高まってきている。』『人類の歴史の中で世界の知識の仕組みが現在ほど根本的に変化した事は無かった。』『物財の増加は比例関数的であるが、情報の増加は、相互関連性において幾何級数的に増加するものであり、そのことが世界の富の創造に関与してきている。』
 彼は論の中で、現代社会の変化の特徴として、グローバル化と地域化(分化)の同時進行や、巨大な隠れた経済(生産消費経済 ⇒ 自産自消)が存在するとし、そを前提として全ての経済活動は機能している、と主張している。
 また現代は、過去の社会組織からの変革が生起しており工業化時代における最適組織からの脱却がなされつつあるともしている。その中では『価値観の内部崩壊』が起こっており、深刻な問題となっている。
この社会のキーワードとして『非マス化や分散化、適正規模、分権化、生産者=消費者の復活、ネット社会』などを挙げている。

 また彼は、NHKの番組において今後の人類社会の流れについてどう考えるかについて発言し、その中で
『21世紀は、人類再定義の時代』であると述べている。
(2007/1 BS1番組未来への提言スペシャル田中直樹との対談)

 1960年代の世界的な未来学ブーム以来、人々は様々な形で新しい技術のもたらすインパクトや社会的変化を何とか理解しようとしてきた。未来学者としてのトフラーのこれらの著作は、政治や経済、社会学など様々な科学の範疇を横断して理解しようとするものとして有意義に捉えられてきた。もちろん、未来予測についての科学的不確実性に起因して、彼の業績や思想に対しては様々な批判も存在する事は事実ではあるが、現代社会に生起したまたは起こりつつある事柄を文明論的に集約し、『今何が起こりつつあるのか』ということを具体的に示そうとする姿勢については、素直に評価すべきと思われる。


3.現代社会の位置付け
 上記の諸氏の予測や分析にあるとおり、現代の人類社会は現実に『情報化社会』に突入しているといえよう。
2007年1月時点でインターネットを利用した15才以上の人の数は世界で約7億4700万人(前年比10%増)であったという。内訳は、第1位は米国の1億5340万人、2位は中国の8680万人、そして3位は日本で5370万人に達しており、増加率が高かったのは、インド (33%)、ロシア (21%)、中国 (20%) といったインターネット後発国となっている。(comScore Networks の調査 2007/1 による)そして、世界へのインターネットの普及率は、2006年現在で約17%とされており、先進国と一部の開発途上国を中心として、急速に普及の度を高めている。また、モバイルコミュニケーションツールとしての携帯電話も同様の傾向にあり、2007年現在で世界の携帯電話利用者数は24億人を超えている。(普及率36%以上) 国別には、1位/中国(約4億6000万人)、2 位/米国(約2億3000万人)、3位/ロシア(約1億5000万人)、4位/インド(約1億4000万人)、5位/ブラジル(約1億人)、6位/日本(約9600万人)となっており、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)と米国、日本が上位を占める構図となっている。この6ヶ国だけで約12億人の携帯電話利用者がおり、世界の全利用者の半数を占めているのである。(日経ビジネスオンライン 2007/5/9)
 そして『パソコン』の普及も加速しており、世界のパソコン出荷台数は、2006年通年では前年比10.5%増の2億3990万台とされ、普及率においては世界17カ国が50%を超えており、1位のスイスは85%、アメリカは3位(74%)、日本も13位(54%)となっている。(ITUによる 2005年9月現在) 世界の主要国の大半は、各家庭や個人に情報ツールが行き渡っており、40年以上前に各氏が予測した情報化社会/ユビキタス社会が、今まさに人類社会に到来しているのである。
 インターネットの普及によって、人類社会は事実上無限の情報の拡大再生産が可能となった。そしてこのメリットの恩恵を世界中の万人が享受しており、この『情報』という面からは、搾取/被搾取の関係は生じず、南北問題なども基本的には発生しないはずである。しかし現実には、情報機器普及の格差などによる『デジタルディバイド(情報を持つ者と持たない者との格差)』も生起しており、新たな課題が生じつつあることも事実である。
しかしともあれ、インターネットや携帯電話を始めとするモバイルツールの普及などにより、現代の人類は『ユビキタス社会』を実現させつつあり、いつでも、と゛こでも、誰とでも 通じ合い理解しあえる、社会的なインフラが完成されつつある。そしてこの事実は、それまでの国家や民族、イデオロギー、宗教などの垣根を取り払い、情報の世界同時性を実現させ、『情報民主主義』を実現させる大前提が形成されることとなるのである。
今現在中国本土において中華人民共和国政府は、インターネットでの情報検閲システム(いわゆる『金盾システム』)を稼動させ、中国国内外への無制限の情報流入と情報発信を規制する政策をとっており、GoogleやYahooなどの一部の海外企業もそれに同調している。しかし最終的にこの規制が奏功し、中国政府が意図する様な情報の検閲と規制が中国内部で永続的に行われるとは、誰も信じてはいまい。 ユビキタス社会において、一部の政府や団体などの都合によって、情報の流れが一方的に規制される事は原理的に不可能なのである。遠からず彼等はその事を認識することとなるであろう。
情報化社会という言葉の概念は、情報や情報技術をきっかけとした社会や経済の質的変換、あるいは飛躍的発展などを指すために用いられることがある。但し、情報や情報技術の社会的効果は必ずしも強調されているとは限らず、社会変動をもたらす多くの要素の一つであったり、あるいは原因というよりも結果、あるいは社会変化を測定する際の指標といった位置づけになっているものもある。具体的に何をもって情報化というのか、という点になると意見は様々であるが、初期の議論に目立った傾向は、『経済活動の情報化』であった。1960年代においては、MIS(経営情報システム)などという概念がもてはやされ、主に経済活動に関する情報の制御や統合が情報化であるとされたのである。


4.『きたるべき社会』到来の障害となる現代の諸問題についての各氏の論

d.サミュエル・ハンチントン 『文明の衝突 − 引き裂かれる世界 』・『文明の衝突と21世紀の日本』
 リアリズムを基調とした保守的な思想で知られるアメリカの国際政治学の権威、サミュエル・ハンチントンは、冷戦以後の世界の現状を、様々な『文明』に国家のアイデンティティを求める、国同士民族同士の対立として描き、今後それら文明のブロック化が進むと、その著書『文明の衝突』において世界情勢を分析した。
彼の論は、『西欧文明』から見た世界観として理解できよう。つまり現在の勝ち組に属する白人社会から見た世界観であり、現在のアメリカの世界観やものの見方を理解する上で参考になるものであるといえよう。そしてその中において、キリスト教的二元論に立脚した、世界の継続的な対立の構図を描いている。彼の論には、『民主、自由、平和を守るのはアメリカのみである』という強烈な自負と意図がもろに見て取れるのである。
 彼の論に対しては、各氏から様々な賛否両論が提示されており、一面の見方として正鵠を射ている部分もありまた明らかに誤謬であると見られる部分も存在している。 誤謬と考えられる一例を挙げるならば、彼の中国に対する見方として、その継続的発展と超大国化を予想しているが、実際それは物理的に不可能なことなのである。中国の人口が全てアメリカ人並みの資源/エネルギーを使用する事は事実不可能であり、また今後の内部矛盾による崩壊の危機も考慮せねばならない。またイスラエルという国ができる前は、その地においてイスラム教徒とユダヤ教徒は平和裏に共存してきていた、という事実を、ハンチントンの理論ではどう理解すればよいのか。
9.11に対する見方として、これを文明間の衝突の結果であるという見方でなく、『豊かな北に対する貧しい南からの、バランスを取るための具体行動』と見る見方も出来るわけであり、表面的な事象だけに捉われて、それを短絡的に文明や宗教間の衝突と『断定してしまう』事は見方を誤るだけであり、そしてそれを常に意図的に利用しようとする政治勢力があるだけに、余計危険なのである。
 彼が論じている『人類は決してまとまり得ない』という見地に対しては、諸氏の述べている『世界市民』という視点を完全に否定している。 彼は『複数の文明の競合という理論によって、全面的な危機の下で蔓延する不安感に対して具体的な対象を提供し、その対象への恐怖を合理化し正当化するのである。』としており、各国の政府は必然的に、意図的に敵を創り出す立場を取ると断定している。マルク・クレポンは、『恐怖と敵を作りだす文化』を正統なものとハンチントン理論は認めているとしており、その見解を否定している。(『文明の衝突という欺瞞』、桑田禮彰) そしてカントは、永遠平和実現のためには、政治技術的方策を考える事からでなく、その実現を各人が自らの義務とみなす所から出発しなければならない、としている。そこでカントは『民主的専制批判』を行い、民主制と共和制の差異を明示している。彼の提言しているのは、『世界共和国』ではなくゆるい国家連合であるとされる。(『永遠平和のために』)
ハンチントン理論では、人類は決して統一社会を形成しえず、『宇宙的存在』とはなりえない事となるのである。現代のグローバルネット社会/ユビキタス社会において、世界の出来事と完全に無縁でいる事は不可能であり、その意味においても、個々の文明の殻に皆が閉じこもる事は現実的にはあり得ないことと思われる。
 そして最後に、彼の論の最大の課題は、『彼の言うことが若し事実なら、では今後、我々はどうすべきか』という事についての考察が余り語られていない、ということなのである。 彼は、世界が『文明の衝突』から脱却するための具体的処方箋を、殆ど用意してくれていないのである。

e.フランシス・フクヤマ『大崩壊の時代 (The great Disruption)』(2000年 早川書房)
 アメリカの政治経済学者フランシス・フクヤマが論じている『大崩壊』とは、現代社会、特にアメリカ社会をはじめとする先進国において、犯罪の増加や家族の崩壊、信頼感や道徳観の変容が見られ、社会秩序の崩壊が生起しており、『資本主義のダイナミズム』をその要因として挙げている。そしてそれは文化の広範な変化により引き起こされたと結論付けている。
 情報化社会を迎え、米国をはじめとして世界中で社会的道徳的無秩序さがエスカレートしてきており、それに対し、社会の規範を再構築することが出来るか、そしてそれは新たなパラダイムを構築する力となれるのかという点に対し、彼は、現代の道徳的葛藤は通常の道徳の欠如によるものではなく、むしろ人間のコミュニティが多様化した為に他との競合によってもたらされたとし、その中で宗教の役割についても言及し、現代の宗教はそれがルールや秩序をもたらしてくれる道具であるとみなしている。 彼は、歴史は周期的に成長と退潮を繰り返すとしており、結論として『社会と道徳の領域では、社会秩序が数世代の周期で成長と退潮を繰り返し循環しているように見え』社会規範の再構築は、この復元力如何にかかっていると結んでいる。
 彼は、米国の大崩壊は既に終り規範の再構築の過程に入っている、としている。しかし彼の論じている米国は、基本的に無限拡大志向の社会であり、環境問題などに代表されるごとく、今後の人類が目指さねばならない社会は無限拡大社会ではなく、循環型社会であるという側面を見落としており、またエネルギー問題や他国の成長等の要素をも見落としているのである。過去において基準とされ善しとされていた、『古き善きアメリカ』というレベルのモラルを再構築するだけでは、今後の人類社会の進展に対応する事は不可能であると思われる。


5.結論 − で、それで実際はどうすれはいいの? − 
 上記の諸氏の未来論は、現在実現されつつあるように見える。しかし、情報化が進展する社会(あるいは第三の波、知価社会、その他)が到来するあるいは来つつある、ことは言っても、そしてその社会において、現実の生活はどうなるのか、という答えはある程度提示されてはいても、最も重要な、我々はどういう想いと意識を持ってそれを受け入れ、対処し生きてゆくべきかということについては、各氏の論を見ても殆ど記されていないのである。
 人類社会はこうなってゆくだろう・・・・ しかし現実には、これこれの問題や課題が山積みされている。これらをどう考えどう解決して行けば良いのか? そしてその場合人間個人個人はどういう考えを持てばよいのか?きたるべき社会における思想の基準/規範となるものは? (神という絶対基準を捨てたとき、人はなにを人間の基準に据えるべきなのか?レゾン・デートルに何をおくべきか?) そして、人類が今後も持続して発展することが可能な社会(サステナビリティ社会)を創り上げるにはどうしたらよいのか? を具体的に示さねばならない時期に来ているのである。


    



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