第六章 : 離陸社会への展望
第六章 : 離陸社会への展望
情報化社会を実現させ、ユビキタス社会が到来した後の人類は、次に何を目指すべきであろうか。 人類社会全体での情報化が進み、いわば『情報民主主義』が実現した世界においては、もはや過去のような、有用な情報を秘匿したりコントロールしたりして優位性を確保する如くの事は困難となり、より公平で平等な社会となろう事は必定と思われる。
しかし、急速な情報化が進展しつつある現代においても、先述の如く世界は依然として様々な課題を抱えており、一見それは殆ど解決不可能なようにも思える。 だがそれをいくつかの基本的なファクターに分け、その個々について考察してゆけば、その解決の糸口がつかめてくると思えるのである。 ここで筆者として、現代の諸問題を『抜本的に解決する』ためには何が必要か、その最重要ポイントについて、ここで考察してみることとしたい。
先ず、総論的な見地から述べてみると、今後の人間の行動規範のあり方の基本として、人類同士の共生のみを考えるのでなく、周りの全ての環境を前提とし、その中で継続的に存続して行く為に、その環境との調和と共存も明確に規定する考えを持つべきであることは過去から様々な論者が述べていることである。そして、先述した如く現代においても依然として人間行動に強い影響力を保持し続けている宗教面においても、その方向に収斂させる必要があるのである。
つまり、人間の行動規範に関して、以下の公式を取るべきと考える。
社会的行動規範 + 宗教的行動規範 ⇒ 今後のあるべき思想規範
○社会的行動規範とは、それを明文化したものが法律であり、しないものは風俗習慣やタブーの類とされる
○宗教的行動規範とは、あらゆる宗教に普遍的な、人間行動を律するための基準
○思想規範とは、人間が生存する為の具体的な理由を求め、自らに価値を見出し、それを具現化し正当化する為に考え出された思想
人間の行動について、法治主義に代表されるごとくただ法律に則ってさえいれば、あとは何をしようと勝手である、といった考えは現在では否定されつつあり、人類社会全体のサステナビリティを確保するために、先ず人は『人としてあるべき道』を見定める必要がある。
次に、これらの行動規範が成立し認知される条件として、その社会の構成員の持続した生存が大前提となるのは当然である。 つまり、『衣食足りて人礼節を知る』のであり、生存条件が確保され難い状況においては、それらの行動規範が守られる事は困難となろう。 いつの時代にあっても、人類社会のベースは、食料と居住地の確保、そして『人間らしい生活』なのである。 マズローの欲求段階説に示されている通り、人間は欲求充足のレベルが高度になる程、高レベルの事柄に関心を向けることが可能となり、より高度な社会規範が成立しそれが受け入れられる素地が成立し、また必要とされるのである。
具体的には、『人類文明社会の持続的発展の確保』と『南北間の格差是正』が大前提となり、現在65億人、そして将来的には100億人を突破すると予測されている全人類が、『人間らしい生活を送れる』だけの資源とエネルギーの確保が必須である、ということである。 これは、現在の資源収奪/浪費型の社会構造や、化石燃料に過度に依存しているエネルギーシステムでは絶対に不可能であり、人類社会は地球から手酷いしっぺ返しを受ける前に、早急に新たな社会システムを構築し、いやがおうにも可及的速やかに新たな段階に変貌を遂げなければならない宿命を背負っているのである。 人類文明の次のステップとしての、『きたるべき社会』の到来は、これらの課題の解決が大前提となるのである。
ここで、この『きたるべき社会』について、それを、先述の表に基づいて仮に『レベル4社会』と呼ぶ事としたい。
この論で見た場合、現代社会においては、取り敢えず民主主義が(たとえその実効が先進諸国に限られており、社会内部の格差など幾多の課題を抱えていたとしても)実現しており、一応は人類社会内部においては I am OK そして You are OK の状態であると言えよう。 ただ人類社会全体としてみた場合には、様々な格差や矛盾を多々内包しており、未だ途上と言わざるを得まい。 また、人間対環境という観点から見た場合、その関係は未だに一方的な収奪状態であり、それが冒頭に述べた様々な環境問題の元凶となっている事は皆の認めざるを得ないところであろう。 現代の人類社会は、やはり『レベル3からレベル4への過渡期』といった状況であろう。
☆レベル4社会とは
レベル4社会とは、工業化社会、そして現在実現しつつある情報化社会の次に、それらを前提として人類が到達すべき社会形態である、とすることが出来よう。そしてその具体的な形態とは
○人間の相互理解が進み、全ての人類が、人種、性別、主義思想、歴史、宗教そして貧富の壁を乗り越えて共存しうる社会を実現させること
○人類の生息する環境が、全ての生き物を包含して共生し、継続して存続し発展しうるシステムが構築されること。つまり地球環境全体のサステナビリティが確立されること
最低限の条件として、以上が挙げられよう。
そしてこれらは、過去から様々な論者が個々に提言してきたことでもあり、格別目新しいものではないはずである。しかしだからといって、放っておいてこれらが実現するものでもなければ、ただ皆が知っているだけで具現化するものでもない筈である。
最大の課題は、それらを『具体的にどうやって実現させるか』であり、その具体手法がこれまでほとんど体系的に語られてこなかったところにある。無目的に社会を運営してゆけば、自動的にそれらが実現されるものでもないのである。 過去の諸氏の文明論、未来論を紐解いても、『情報化社会』の到来については各氏とも異口同音に予測していても、その次には何が来るのか、そしてその世界を実現させるためには何が必要なのか、体系的に提示されているものは現在のところ寡聞である。
ここではもう少し突っ込んで、レベル4社会を具現化する為に必要とされる条件について、若干の考察を行ってみる事としたい。
☆レベル4社会実現の為に必要とされる諸要素について
まず、人類社会が過去の『諸々のしがらみ』を乗り越えて共存するためには、相互に認知し合うことが大前提となる。 つまり、お互いが“ I am OK and you are also OK!”の関係となることであり、これは第四章で述べた如く、種としての人類全体の『成人化』と位置づけられよう。 地球環境に対し決定的な影響力を持ち、自らの種をも滅ぼす力を持った人類は、21世紀の現在にあって、早急に大人にならねばならないのである。 見境のつかない子供に刃物を持たせる親はいないように、核兵器という地球上における究極兵器を保持した人類は、必然的に成人化するしかないのである。 そしてこのレベル4社会実現のための必要条件としては、以下の三つの項目に要約されると考えられる。
○先ず、この人間精神の『成人化』が、第一の必須項目に挙げられよう。
次に、人類社会が今後継続しなおかつ発展するためには、絶対的に二つの項目の達成が必要となる。 機械文明を持った生物としての人間が、生活し活動してゆくためには、それを利用し消費してゆく『資源』と、それを加工し動かすための『エネルギー』が必須である。 人間は、『物』(資材・生産物・工業製品及び食料)『エネルギー』そして『情報』を消費し、それにより自己実現と満足度の向上を図ろうとする生物であり、人類のサステナビリティ実現のためには即ち
○『エネルギー問題の抜本的解決』 と
○『資源完全再生産サイクルの確立』 が必須事項となるのである。
以上の三項目について、ここで順に考察してゆく事としたい。
@人間精神の『成人』化 について
本来は、きたるべき社会において人間対人間のあり方や人間の作る社会のあり方について、具体的且つ大多数が受け入れ可能な『人類共通に通用する』基準となる思想、いわば『人間の第一倫理』というべきものを新たに構築し、あわせて、人類が外環境とどう向き合い、どう社会を営んでゆくべきかという長期的ビジョンとそのコンセンサスづくりを行なう事により、それが可能となるはずである。
しかし現実は残念ながらそういった推移とはなっていないのである。
現代は、自信喪失の時代であるとも言われている。 近代思想の普及により相当数の人間にとって、旧来の『神は死んでしまった』が、『次の、依るべき思想』が提示されないことに対し、一部の市民は洋の東西や南北を問わず、その不安を払拭するのに、またぞろ従来の宗教思想を再度持ち出してきており、一部においては数百年以上前に遡る『原理主義』も各地で台頭してきている。しかしこれらの動きは、自らの社会や国家、民族内部における矛盾や、国際社会への不適合を『他者を悪者にして自らを正当化する』、『言い訳する』或いは『逃避する』ための手段として、レベル3の世界からレベル1の世界へと一時的に避難する、代替行為でしかないのである。
レベル4社会への移行を実現させるために取り敢えず考えられるのは、何らかの『依るべき思想』の確立と、それをもって人類社会全体へ適用させコンセンサスを獲得することである、とする先述の意見もあるかもしれない。過去の一神教や共産主義、あるいは戦前の日本における天皇制などに代わり、それら全てを超克し、過去の全ての思想から一線を画した、より高い次元で人間の倫理を規定するものとして捉えることが必要であると考え、絶対多数の人類がこの思想を是とし、共通の倫理観を持つことが、人類社会がtake−offする必要条件となるとするものである。確かにそう考えれば事は簡単で、『何らかの素晴らしい思想』が提示され、その普及によって人類社会が新たな段階に到達する、とするなら、我々は単にその思想が誰かから示されるのを『待ちさえすればよい』のである。
しかし、この『依るべき思想』なるものは、『いつ誰が提示してくれる』のであろうか。少なくとも現在まで、現代人の大方が納得できるようなそれが明示されたことはなかった。 そして、本当にそういった新たな思想が提示されなければ、きたるべき社会の実現は不可能なのであろうか。地球をも破壊することの出来るほどの力を持った、大人であらねばならないはずの我々自身、何者かに対して『ないものねだり』をしているのではないだろうか? 我々は、『棚からぼた餅』が落ちてくるのをただ待っているだけの存在なのであろうか。
筆者は、将来提示される(かも知れない)思想にただいたずらに無責任な期待をかけるのではなく、過去に提示された様々な思想や考え方の中にこそ、我々はそれを見出すことが出来、また見いだす必要があると考える。
もはや人類社会は、『現代の新たな預言者』を必要としてはいないのであり、既に人類は自らの中にその答えを持っており、今我々が為すべき事は、それらを統合し整理し共有することであるはずなのだ。 何らかの神様か仏様に『手取り足取り』して導いてもらう段階ではないのである。
以上の見解に立ち、ここで、今後のレベル4社会を実現させるためのベースとなる可能性のある幾つかの思想について、若干の考察をおこなってみたい。
◎『ガイア思想』について
ガイア理論とは、地球と生物が相互に関係し合い環境を作り上げていることを、ある種の「巨大な生命体」と見なす仮説で、『ガイア仮説』ともいう。 この考えはNASAに勤務していた大気学者、化学者のジェームズ・ラブロックによって1960年代に提唱された。ラブロックは始めこの理論を「自己統制システム」と命名したが、後に作家のウイリアム・ゴールディングの提案によりギリシア神話の女神「ガイア」にちなんだ名前へ変更したとされる。 当初は主に気候を中心とした、生物と環境の相互作用についての理論であり、何らかの「恒常性」が認められる、とした理論であったが、賛同者を徐々に得て、シンポジウムも開かれ、批判によって理論が鍛えられ緻密化するとともに、さらに多くの賛同者を得て、この理論にかなう多くの具体的・科学的な事例も集まり、豊穣な理論体系となった。この『ガイア思想』は、誰もが認識している森羅万象に対する畏敬の念と、それとの共存という、人間として持っているあたり前の感情に対し、それに科学的解釈を与えたものであると言えよう。
○ジエームズ・ラヴロック 『地球は、それ自身がホメオスタシス機能を持つ、一つの生命体である。』
○Dr.イリヤ・プリゴジン 『我々は自然から分かれて、なお且つ自然の一部である』
多くの初期の批評の後、再構築されたガイア理論は、現在、基礎生態学上の研究の究極の目的である地球化学と同一の生態学のひとつとして論議されている。 一般に、生態学者は、生物圏=(生態系+ガイア理論)であるとみなしているが、そのオリジナルの簡素化と、生物圏と生物多様性の概念を継承して、グローバルな現代生態学のビジョンと一致しているように提案した。 ガイア説は、生物相と、海洋と、地圏と、大気との相互作用を考慮に入れた上で、地球生理学あるいは地球システム科学とも呼ばれている。 また、環境という『複雑系』に対して取り組む厳密な科学理論の一つの手法としても提示されている。
ただ、このガイア理論には以下の様な批判が存在していることもまた事実である。
・『地球は自己増殖しないため生命ではない。 』
・『広く一般大衆の興味を環境保護などに向ける契機になったが、それ以上の実効性が無い。
』
・『神秘主義的・情緒的な面が安易に利用・誇張され一人歩きしている。 』
・『環境保護運動、動物愛護運動などに根拠の曖昧かつ抽象的な説得力を与えている。
』
・『環境保護運動の推進・拡大を意図する者や、これに関連する何らかの権益を持つ者、環境保護活動を通じてのイメージアップを企図する企業に、世間の気を引くための詭弁として利用されている。
』
また、ガイア理論に特に否定的な者の一部には、現在の社会活動で用いられるガイア理論そのものが、それを利用しようとする者たちによって作り上げられた巨大な詭弁であるという考え方も存在している。
などの批判もあり、また一つの科学体系としてトータル的に確立されたものではない為、現在のところそれぞれの立場からの思惑もあり、大方のコンセンサスを得た思想とはなっていない。 (ウィキペディア(Wikipedia)より転載)
しかし基本的に、ガイア思想は『生きとし生けるものは皆同じ存在価値、意義を持つ』という考え方でもあり、従来の(西欧型)人間中心論的な考え方から、人間を含む全ての存在に目を向ける思想であり、現代文明を、無限拡大指向型文明から環境調和型文明に移行させようという試みの総体として位置づけることが可能であり、人類以外の『森羅万象』についても、『環境』という概念として、広義の『 You 』として位置づける考えであり、人類が種として成人化するために、この思想は当然是とされるべきものと思われる。 先述のごとく古くからの仏教哲学においても、『物我一如、自他不二』(万物と自己とは区別できる(不可同)が、切り離すことは出来ない(不可分)) であるとして、人類もまた環境の一部であるとする、このガイア思想と整合しているのである。
また日本国内においては、『山川草木国土悉皆成仏』という表現が天台宗の教義などにあり、森羅万象の全ては仏性を内包する(生命が存在する)としており、これらの考えは古くから日本人の精神構造に当然のこととしてインプットされてきたのである。 このようにガイア論に関しては、特に日本人など東洋においては別にあらためて特筆すべき思想ではないのである。
この東洋的な考えは、一般的に『アニミズム』という表現で表されている、日本人が縄文の昔から保持してきた自然との共生、他環境へのいたわりや敬愛の念などと同じベースであり、これは本来、世界の各地に古くから根づいていたものなのである。 現在の一神教地域であるヨーロッパや中近東においてさえ、その住民の精神生活のベースには、このアニミズムの精神が脈々と流れ続けているとされる。 故に、ガイア思想は、人間が本来持っていた外部との関わり方に還ろう、という思想に、幾許かの理論的裏づけを行なったものであると理解できるのである。
環境考古学者で、過去の地球環境の推移に詳しい安田喜憲氏は、今後の人類活動による地球環境の危機を回避するには、現在の世界中に残存している、古くから人間が環境と調和し共存してきた様々な知恵を再認識すべきであるとしている。そして古来より人類が育んできた『アニミズム』的精神こそが、自然との共存を可能とする思想であると論じている。 現在の、一神教思想と『畑作牧畜民』によって築かれた『力と闘争の文明』による自然からの一方的な収奪ではなく、『稲作漁労民』的世界観による循環型の『美と慈悲の文明』・『生命文明』こそが、閉鎖環境である地球上に住む我々人類が生き残ってゆく唯一の道である、という。(『一神教の闇』安田喜憲2006年)
※現代の、特に西洋世界において『アニミズム』という表現は、一神教思想に劣る低俗な多神教の宗教であり、また卑猥なものであるとして位置づけられてきており、それが不当な誤解を生んできたことは事実である。しかし先述の如く、アニミズムなどの多神教も一神教も、同レベルの心理活動の結果に他ならず、要は『左脳的理屈』でなく『右脳的感性』によって森羅万象と向き合うべきである、ということであると理解できよう。
◎トランスパーソナル心理学について
現代科学において、人間の心の問題や課題について考察するものは『心理学』ということになろうが、その領域において、過去に比して、より総合的且つ個人と社会との関連性に踏み込んで考察する考えが、最近提起されてきている。 これを『トランスパーソナル心理学』と称し、”トランス”とは、”超える”という意味であり、個を超えた心を扱う心理学と位置づけられている。
1.トランスパーソナル心理学とは
1960年代に展開しはじめた心理学の新しい潮流で、行動主義心理学、精神分析、人間性心理学に続く第四の心理学とされており、人間性心理学における自己超越の概念をさらに発展させたものであり、一部においては、過去からの神秘主義的思想からの流れを汲んでいる。そこでは、人間の究極的な目的を、自己を超越した存在(森羅万象・梵・スピリットなどと表現される)に、『一なる世界』で全てと統合される事であると定義し、それを実現する為の精神統合の手法を開発している。
この動きは、人間の心を考察する心理学に、『霊』、『魂』や『スピリット』の概念を導入し、発達心理学などの手法を適用して、自我とその発展、そして最終的には背景”Soul”の認識を得る事を目的としており、『個を超えた自我』の概念を具体的な科学として扱っている。 今現在は、『科学の領域に達する前段階』(プロトサイエンス)としても位置づけられており、世界中でその研究/論考が行なわれている。
トランスパーソナル心理学の具体的な特徴として、(1) 意識的な状態、(2)至高または究極の潜在性、(3)自我または個人的な自己を超える点、(4)超越性(トランセンダント)、(5)スピリチュアルであること が挙げられている。
(Lajoie and Shapiro 1992 による定義)
2.一般社会の認知について
ただこういった新しい動きには、既存の学問領域から様々な疑問が提示されており、もともとニューエイジ思想(ニューエイジとは、米国の60年代のカウンターカルチャーを起源とし、物質的な思考のみでなく超自然的・精神的な思想をもって既存の文明や科学、政治体制などに批判を加え、それらから解放された自由で人間的な生き方を模索しようとする運動をいう)の影響が色濃く、「自己を超えたなにものか」という時点で既に他者には確認不能であり、再現性に乏しい上にスピリチュアリティーも扱う為宗教に近い部分もあり、そのため宗教や神秘学そのものであるとの批判がある。晩年におけるユングの著作などのように、オカルトあるいは疑似科学であるとの批判に対し、十分納得のゆく反論がなされていないという意見も存在している。
実際の臨床においては、一定の効果が認められているというが、再現可能性、実験再現性、再観測可能性や、臨床試験を中心に据えた研究発表が現時点ではまだ少なく、反駁不可能な領域に関しても言及しようとする傾向が強いことが様々な批判を生む一因であり、現状では科学として取り扱える分野とは言い難いと考える人たちもいることも事実ではある。 (ウィキペディア(Wikipedia)を参考)
また、現代日本のトランスパーソナル学会についても、その構成は、実際に心理療法に携わっている人たちから、占星術者まで多岐にわたっており、一面でオカルティックな雰囲気も持ち合わせており、それらをトータルとして純粋な科学として扱うことにはまだ抵抗がある流れとなっていることもある。
しかし、このトランスパーソナル心理学を、それがスピリチュアリティーなどを扱っているからといって、なんらかの宗教に類するもの、あるいは単なるオカルティックなものとして見るのではなく、『心のつながり』のあり方を考える学問として捉えるなら、今後の人類社会のあり方について、一つの大きなヒントを与えてくれるものであると思われるのである。 魂やスピリット、霊などの存在をどう捉えるかは各人の自由であろうが、発達心理学の考えに基づく、個人の精神的発達過程と、それが最終的に目指すもの=梵あるいは森羅万象などとの共存というスタンスについては、その方向付けは正鵠を突いていると見ることが出来るのである。 現在のトランスパーソナル心理学が、魂やスピリットという概念を包含しているが故に、一部で受け入れられ難いとされる部分や場合が存在することも事実ではあるが、人類社会の、そして社会に生きる個人としての生き方、あるべき姿、取るべきスタンスについての重大な示唆を含んでいるとしてよいのではないだろうか。
日本におけるトランスパーソナル心理学を主催する諸富祥彦氏はこう述べている。
『トランスパーソナル心理学は″つながり志向″の心理学。″個を越えたつながり″の心理学。現代人の歪んだ生き方の、根本からの変革は″個を越えたつながり″の回復によってしかなしとげられえない、と考える心理学です。 このつながりはしかし、カルト集団のような閉鎖的・排他的なつながりではなく、”開かれたつながり″でなくてはなりません。そしてそれはまた、ある種の全体主義のような抑圧されたつながりではなく、″個が生きるつながり々でなくてはなりません。すなわち、トランスパーソナル=個を越えたつながり=個が生きるつながり というのが、トランスパーソナル心理学の基本コンセプト。 人と人のつながり、大自然とのつながり、宇宙とのつながりを説くこの考えによってこそ、すべてがバラバラに分断された現代社会の中で傷ついた私たちの心や魂の渇きを癒すことができる。私たちをその本来の姿に連れ戻すことができる。そして同時にそれは、世界の癒し=社会変革や地球の癒しにもつながっていく大きなムーヴメントの基本コンセプトたりうるはずだ。これが、私たちの考えです。』『これまでの心理学が、個人の幸福追求、自己実現の手助けをするあまり、かえって人を”自分へ”のとらわれ=個人主義の牢獄に閉じ込め、安手の癒しと引き換えに真の幸せから道ざけてきたのと反対に、トランスパーソナル心理学では、他人の痛み、地球の痛みをみずからの痛みとし、この社会の歪みをみずからの歪みとして引き受けるような世界に聞かれたあり方、そんな険しい道をあえて目指すのです。
ここでは、「私はほんとうはどう生きるべきか」という自己探究の問題と「この世界はどこに向かうべきか」という社会変革の問題、そして「私たちが傷つけた地球の生命をどう癒すか」というエコロジーの問題とがひとつに溶け合います。私たち一人一人の心を傷つけ生きづらくしている何かと、この社会に歪みをもたらし地球を破壊へと追い込んでいる何か。その両者は実はコインの裏表のような関係にあるのです。 したがって、私たちに今求められているのは、私たちの内と外、「精神世界の変革」と「社会変革の運動」とを一つの流れと見て、同時に働きかけていくことです。』『「私の癒し」と「世界の癒し」そして「地球の癒し」のつながり。うちなる私の変革(自己変革)と外側の世界の変革(社会変革)の同時進行。この新たなムーヴメントの理論的な支えとなるのが”個を越えたつながり″を説くトランスパーソナル心理学です。 しかもそれは決してお題目にとどまりません。第8章で紹介したワールドワークがその代表格ですが、「私の癒し」と「世界の癒し」、「私の自己変革」と「社会の変革」に同時進行的に取り組んでいく実践的な手法を備えています。』
(『トランスパーソナル心理学入門』 諸富祥彦 講談社現代新書 1999年)
これらの見地から、いわば心理学の中に哲学をも包含した、『生き方の提言』のレベルにまで踏み込んだ活動を行なっているのである。
3.トランスパーソナル心理学の代表的論者の思想
ここで、このトランスパーソナル心理学における具体的な思想として、その有力な論者の一人であり、ニューエイジ系思想の第一人者とされている、ケン・ウイルバーの思想について見てみることとしたい。
アメリカの現代思想家であるケン・ウィルバー(Kenneth Earl Wilber Junior)は、トランスパーソナル心理学の代表的論客であり、また『インテグラル思想』の提唱者でもある。彼の20以上の著作は世界中の言語に翻訳され、専門家や一般に幅広く読まれている。 彼は、過去のあらゆる宗教や科学の精髄を統合し、その全体が言わんとしている事を統合して、トランスパーソナル心理学の立場からそれを演繹している。
また彼は、発達心理学の見地からの論考により、人間が辿る心の進化のレベルを、独自の4つの段階に分類している。 (意識のスペクトラム理論)
人間の意識は、複数の階層により構成されており、人間の成長はこれらの階層を段階的に通過することをとおして実現される。そして、この段階的成長の過程は、人間の生得的な自己中心性の克服の過程としてとらえることのできるものである。そして、古今東西の自己探求の方法は、この成長過程の各段階において経験される諸々の課題・問題を解決するための触媒として機能する。こうした成長段階は、大別して4つの段階に分類することができるという。
@プリパーソナル(pre-personal):生物としての基盤となる肉体的衝動の充足を行動論理とする段階。この段階において、人間は、生命体として生存するために必要となる基礎的な自己認識を確立する。世界とは峻別された存在――それゆえに世界の脅威に対して脆弱な存在――としての自己を認識し、それを防衛・維持することを最高の関心事とする。この段階における課題・問題を解決するための有効な方法としては、例えば、認知行動療法があげられる。これは、人格の基盤となる基礎的構造を構築することを主眼とするものである。
A前期パーソナル(personal):共同体の言語・規範を習得して、共同体の構成員としての自己を確立することを行動論理とする段階。共同体において共有されている普遍的な規範を内面化することをとおして、自己の肉体的衝動の呪縛を克服することがこの成長段階における重要な課題となる。この段階における成長課題は、内面化された共同体の規範を徐々に対象化する能力を涵養することである。これにより、自己を規範と完全に同一化するのではなく、それらとの関係性(自由)を確保することができるようになるのである。こうした成長課題を解決するための有効な方法としては、例えば、共同体の規範を内面化する過程において発生した抑圧・分裂等の内的な歪(ひずみ)を解決することを目的とする精神分析療法があげられる。
B後期パーソナル(personal):内面化された諸々の共同体の規範・信念等を対象化して、自己の独自の価値体系にもとづいて、それらをあらためて構成しなおす段階。自己の所属する共同体の期待に盲目的に応えるのではなく、それらをさらに包括的な視野(世界中心的視野)から検討したうえで、自己の責任(response-ability)にもとづいて自律的な行動をすることができる。この段階におけるこうした成長課題を解決するための方法としては、例えば、実存主義療法があげられる。これは、個人としての自己の存在を定義する諸々の構造的限定条件(例:死)を認識・抱擁したうえで、それらの条件の範囲内で自己の人生を充実させるための「思想」を構築・実践する能力の涵養を援助する。
Cトランスパーソナル(transpersonal・postpersonal):自己感覚(self-sense)を個人の領域から霊性の領域へと拡張をする段階。自己の存在基盤を時空間に存在する個人としての存在から時空間を内包(観想)する「目撃者」(Soul・Spirit)へと移行する段階。この段階における成長課題を解決するための方法としては、例えば、瞑想に代表される、東洋宗教により開発された意識変容の方法があげられる。こうした方法は、時空間に存在する個人としての自己の成熟ではなく、自己(identity)の基盤をそうした個人としての自己をあらしめる背景(Soul・ Spirit)へと移行することを目的とする。
彼は、現代の科学は5つのホロン階層の内の低位の3つしか認めておらず、今後のあるべき方向は、残りの二つ、魂とスピリット(汎自我)の存在を認め、それを自らの体系の中に導入することである、としている。『最後になすべき事は、観想の眼を導入することである。』
彼の思想活動の基盤にある根本的な発想は、次のように説明することができよう。
『世界に存在するあらゆる視点は必ずある真実を内包する。従って、必要とされるのは、存在する多数の視点のうち、どれを最も正しいものとして選択するかということではなく、それぞれの視点が内包する真実を認識・尊重したうえで、それらがどのように相互に関係しているかを理解することである。
こうした発想は、ウィルバーが、自らの自己探求の過程において、多様な技法を経験するうちに直面した事実に対する素朴な疑問を基盤としている。それは、いずれの自己探求の視点も非常に重要な洞察をもたらしてくれるものでありながら、それぞれは、自らが最も正当なものであることを主張して、相互に争いをしているという事実に対する疑問――それぞれの存在価値を認識・尊重したうえで、それらの共存を許容する方法はないのだろうかという疑問ということができるだろう。』『インテグラル思想は、「インテグラル」(統合)という大義のもと、多様な理論体系をその構成要素として包摂することを意図するものではない。むしろ、インテグラル思想とは、人間の意識というものが、ある視点(perspective)を抱擁することをとおして、必然的に盲点を抱えこむものであることの認識のもと、人間の認識行為の構造的な限定条件を建設的に活用することを意図するものである。つまり、それは、世界を認識する際、視点というものを利用せざるをえない人間の認識能力の特性を内省することをとおして、認識という経験が生成する背景としての意識という空間に立ちかえることを援助しようとするものなのである。こうした観想者の視野に継続的に立ちかえることをとおして、人間は、はじめて、自らの得意とする視点に執着することなく、様々な視点を柔軟に活用することができるようになるのである。』 (以上、ウィキペディア(Wikipedia)より抜粋)
まさにその視点が、レベル4社会として必要な見方なのである。
この考えは、一面で行き詰まりの見える現代科学手法の基本である『要素還元主義的思考』から、事象を全体面から見る『全包括主義的思考』への転換である、とも言えよう。
そして、これはまた、『オートポイエーシス(自己創出性)』の考えとも整合するのである。
※オートポイエーシスとは、ある産出原理があってその働きにより産出物がある、という旧来のシステム論ではなく、システムの構成要素そのものが、自分を生み出すシステムを産出する、という円環的な組織的特性をもった考えで、生命システムの本質に迫ろうとする、本来は生物学の分野での概念であったが、そのシステム論的な斬新さ故に、心理療法や経営管理など、他の分野でも活用されつつある、という。
彼の業績は、もちろん宗教活動などではない。しかし、霊や魂の存在とその成長についても論じており、その考え故に現代科学と一線を画しているという見方もあり、各分野からの様々な批判などもあり、その手法の重要さに似合わず広く一般に認知されているとは言い難く、その知名度についても広範に知られているとまでは今のところ言い難い。
しかし、彼の哲学的思想やその方法論は、今後の『きたるべき社会』実現のための、一つの大きな道標として位置づけることが出来ると思われるのである。 過去において、いくら優れた哲学思想といえどそれが具体的に世界を動かし世の中を変革してきたことはなかったように思われるが、人間がどのようにものを見、また考えるかは、社会/文明のベクトル付けには必須のものであり、その意味において彼の見方や手法は、もっと噛み砕いた形に要約して、一般に受け入れられるべきなのではないかと思われる。
4.ウィルバーの言わんとしている事柄
彼の一連の著作やその活動のベースにある『インテグラル志向(統合の衝動)』とは、その基本において、人間の認識能力というものが構造的に盲点を内包することの認識にもとづき、それを可能な限り克服することを志向しているのである。彼は、過去の様々な理論体系が個々に正しいとか間違っているとかを問題にするのではなく、それらの全てに何らかの真実が含まれており、現代はそれらを統合すべき時期である、と言っている。 故に、過去の様々な思想や宗教についても、彼の『堅固な結論』として、『志向的一般化』出来ると考えている。彼は、現代のあらゆる科学や思想体系は『統合の時代』に向かっており、その流れを推進しているとする。
この、過去の様々な思想を意図的に統合化するという試みも、人類文明の進展に取り必要なことであろう。 過去の諸々の思想の『たな卸し』と『在庫整理』そして『統合化』は、我々の過去を振り返るためには必要と思われる。 ウィルバーは、彼の一連の思想を『これこそ東洋と西洋、南と北を包含した最初の真の意味での世界哲学』であるとしている。
また、人間の心の進化についても、先述の『意識のスペクトラム』の階層を登ることにより達成され、その最終段階においては、自己の魂とスピリットとの同一化が達成されるとしており、完全な覚醒、悟り、同一性に至る段階においては、魂は超克され溶解され、スピリットと一体化するとしている。そしてその為には、各個人の、この世界に対する『認知能力の成熟』が重要であるとしている。また、諸々の相反する相補的な思想を統合的に正しく認識するためには、『理論と実践』が重要であるとも述べている。
彼は非-二元論(ノン・デュアル)を対立の構図として、過去の宗教思想を 父権的宗教/母権的宗教として否定し、新プラトン主義〜秘密金剛乗を『永遠の哲学』と規定している。 (『統合心理学への道』 春秋社 2004年)そして、過去の対立の世界観を脱却する必要があるといっている。
このこのとは、本説でいう I と You の対立からの脱却であるということも出来、I(内なるもの)とYou(外なるもの)との統合を、『スピリット』という魂を超越した概念の存在を前提として表現したものであるという理解が可能となろう。
5.トランスパーソナル心理学の現代社会への適用について
これらトランスパーソナル心理学の理論や成果について、それに示されている『霊』や『魂』、『スピリット』の存在については、やはり様々な立場により異論もあると思う。 しかしこれら霊的な事象の存否は別として、人類(個人および社会)と、環境との関係のあり方について、個々人が自己の在り方を再認識するための手法として、この考えを適用することは可能であると言えるのではないか。
現代社会は、科学技術の成果と西洋式民主主義社会の成功により、古くからの思想と特に権威主義に基づく社会通念で重要視されていた人間の内面性の強調が、それらへの反発から意図的に否定されてきており、その一面行き過ぎた人間の内面領域の否定によって、広範な社会モラルの地盤沈下をもたらしている。しかし、発達心理学が示唆するように、人間の精神的成長とは、各自の内省力を深化させることを通して、己の肉体的衝動を高度のレベルに昇華させ成熟した社会性のもとに表現するという、自己中心性を克服する過程であるとも言え、今後の『きたるべき社会』を到来させるためには、社会を構成する各人の、『個々の精神性のレベルアップ』が必須条件であり、そのためのものの見方、考え方として、より広く一般に適用されるべきと考えられるのである。 最終的に、各個人が自己を『相対化』し他(社会や森羅万象)との共存を具体的に認識することにより、レベル4社会は実現すると考えられるのである。
この、トランスパーソナル心理学の考え方の適用が、今後人類が精神的に成熟するための最善の方策かどうかは解らないが、ものの見方に対する、ひとつのブレークスルーの切っ掛けを与えてくれるものかも知れないのである。少なくともこれらの活動に対して、それを単なるオカルティックな物好きの集まり、としてしか見ないのは不正解と思われる。
◎人間精神が『成人化』するために必要な要素
上記で論考した様に、今後人間の精神が成人化するためには、全く新しい理論や格別に新奇な思想が必要だということではなく、人類社会が従来から辿ってきた進化の道筋に沿って、いま少し広い見地に立ちさえすれば、それは実現が可能なことだと思われる。 ここに例示した二つの考えであるが、
○ガイア思想については、人間がその外環境(森羅万象やいのちのつながり、など)との共存を『納得するための理論付け』として捉え
○トランスパーソナル心理学については、人間がその外環境との共存を『感得するための方法論』として捉えれば良いのである。
前章で述べた、哲学としての『仏教思想』などについても、ガイア思想と同様に、人間のレゾン・デートルを認識し自らと外環境とのあり方を再認識するための、ひとつのセオリーとして捉えることが出来よう。
要するに、何も小難しいことを考えたり難解な理論を展開する必要は全くないのである。
人類社会の皆が I am OK and You are also OK! でありさえすれば、レベル4社会の扉を開く事は十分に可能であるということなのだ。
A資源問題の『抜本的』解決 について
人類社会が今後も発展し、人間自体がより高度なレベルに達するために必要な要素として、その社会の『発展的継続』が先ず大前提となることは言うまでもない。そしてそのサステナビリティを確保するための条件は
○一つには資源問題に集約される
○一つにはエネルギー問題に集約される
であると先述した。
ここで、人類が直面している資源問題とその解決策について、先ず簡単に考察してみることとしたい。
人類社会が経験する新たな社会形態として、『知価社会』などの到来については、各氏の説でよく言われているが、しかしその時に往々にして忘れられているあるいは省略されているのが、それらNextSocietyの大前提として、現在の『工業化社会』の存続が絶対に不可欠である、ということである。 その社会で生み出されるものが『大量少品種』であるが『少量多品種』であるかは別として、大量に、そして安価且つ豊富に生産された『モノ』が無ければ、工業化社会以降のあらゆる社会(脱工業化社会、情報化社会、知価社会、etc)は成立し得ないということを、我々は改めて認識する必要があり、さもなければ、これらの諸説は全て『砂上の楼閣』でしかなくなる。 そしてその為に必要不可欠なのが、それら『モノ』を作り出すための原材料である。
現在、世界で産出されている資源は、もちろん全て地球内部から取り出しているわけであり、自ずとその資源に限りがある事は明白であろう。そしてそれらが枯渇する時点は、遠い未来のことなどではなく、近い将来の事とされているのである。石油や天然ガスなどの炭化水素資源はもとより、レアメタルなどの金属資源においても、個々に見た場合は危機的状態にあるものも多いのである。 地殻からの理論回収可能量(地下1000mまで回収可能と算定した時の理論値)、すなわち我々が通常の技術で採掘できる資源の量は、地殻に存在する理論量(究極利用可能限界)の1%にも満たない、といい、代替素材が見つかる可能性のあるものはまだしも、全体的に見た場合、冒頭にも示したように人類社会にとって『資源枯渇』の問題は、近い将来我々が直面する可能性の高い一つの危機であるといえよう。
※資源の枯渇とは、その資源が全くなくなることではなく基本的に以下の事項を意味する。
@将来の世代がその資源を得る機会を著しく減少すること
Aその資源を獲得するために大量の資源エネルギー等投入が必要になり、資源の獲得が困難になること
Bその資源に依存した生産活動が困難になること
具体的には、対象となる資源の獲得を巡って、以下の現象が起きることが、資源の枯渇を意味する。
・資源価格の著しい高騰
・資源獲得のための環境破壊の増大が起きる
・その資源を利用する経済的メリットが失われる
(サステナビリティの科学的基礎に関する調査プロジェクト 2005)による
以上の流れに基づくと、月などの他の星から資源を持ってこなければ、地球の資源はいずれ無くなってしまう、ということである。
しかしよく考えてみると、資源を『消費する』といっても、それは煙のように無くなってしまう訳ではなく、それらは形を変えはするものの、つまり地上に広く拡散するかまたはゴミとして、物質そのものとしては厳として地上に存在し続けるのである。
現在、世界で資源のリサイクルが進められているが、そのリサイクルの結果得られたものも『人工資源』として使用が可能であり、要はこの再生産サイクルの効率を極限まで上げてゆけば良いこととなるわけである。
◎天然資源と人工資源の特性 (サステナビリティの科学的基礎に関する調査プロジェクト 2005年 P121)
特性 | 天然資源 | 人工資源 |
量 | 多い、ものによっては枯渇の不安がある | 最近増加、枯渇性の資源ほど相対的には多くない |
存在の場所 | 集中しており機械力で効率よく採取できる | 分散しており、収集に手間がかかる |
必要成分品 | 人工資源に比較して低濃度 | 天然資源に比較して高濃度 |
不純物 | 人工資源に比較し、高濃度の場合もあるが、一定している | 天然資源に比較し不安定 |
概略、以上にまとめられよう。 人工資源は、その生成により不安定な不純物を含むが、抽出技術の高度化により、より効率的な資源としての活用が可能となるはずなのである。 もし人類社会全体が、より高度な資源の循環的再利用システムを構築することが出来たなら、それを効率的に運用して行く限りにおいて、人類は資源枯渇の問題から自由になることが出来るのである。
しかし実際はそう簡単ではない事は周知の通りであり、この資源問題が、『人間の経済活動の結果である』という側面を持っているが故に、当面のコストの問題や富の配分の不均衡(ゴミの輸出など)、短期〜長期の経済動向など様々な要因が絡んでおり、なかなか各国や各企業の方向付けや足並みが揃わないのである。
☆人間社会における『価値』の位置付けについて
この、資源問題を解くためのひとつの考え方として、人間が所有/使用する『もの』に含まれる『価値』を、それぞれの要素に分けて考えれば、比較的容易く整理できると思われる。
ここで、『自家用車』を例にとってその価値の中身を分別して列記してみる。 ここでは価値を、素材価値と機能価値、及び知価価値に分類してみた。
※ここでいう『知価価値』とは、堺屋太一の定義する『知価』により付加された、『デザイン価値』や『ブランド価値』などの、『物価』以外のプラスアルファの価値を総称する。そしてその価値は、TPOや受け取る側の姿勢によってその多寡は変動することとなる。
(堺屋氏は、モノの価値を『物価』と『知価』の二つに分けたが、ここではさらに『物価』の基本的要素を『素材価値』と『機能価値』に二分類して考察している)
◎自家用車の価値
価値の区分 | 価値の内容 | 価値の具体内容 |
素材価値 | その製品の素材の持つ価値 | 鉄材・プラスチック・アルミニウム・ガラス・他 |
リサイクル・リユース対象 | ||
機能価値 | その製品と使用するプロセスが使用者に与える利便性や感動 | 移動能力の拡大 |
使う事による楽しさ、豊かさ | 運搬能力の拡大 | |
くつろぎの空間として | ||
知価価値 | デザインやブランドなどのプレミアム価値 | ステータス、他者との差別化 |
体験することで得られる経験や技術、技能 | 所有する事自体の喜び | |
自己実現のためのツール(趣味を楽しむ) |
上記の如く、モノの価値を、素材価値と機能価値そして知価価値に分けて考えれば、経済活動における取り組みの方向付けが見えて来る筈である。
つまり、モノの価格を、その製品の素材についての価格と、それ以外の機能や知価に関する価格に分類し、その製品を使い終えて廃棄する時、素材に関する価格については、ユーザーからあらためて買い上げるという考えである。
勿論ここではそれをそのままストレートにやれ、と言っているのではない。 少なくとも、そういう考え方を社会に浸透させるために、具体的に眼に見える形にすべきである、ということなのだ。 現在の日本における『家電リサイクル法』など、特にリサイクル料金後払い方式のシステムは、こういった経済原則に反した制度であり、現実問題としてそれらの不法投棄をかえって助長する流れとなっているのである。特に山間部などにおいてテレビや冷蔵庫などが違法投棄されゴミの山を築いている現状は眼に余る程であり、現地の環境問題や自治体の費用負担など、社会問題化していることは衆目の知るところであろう。これらに関しては少なくとも、『自動車リサイクル法』や『パソコンリサイクル法』などのように、先払い方式を取るべきなのである。
そしてそこからもう一歩踏み込んで、リサイクルに回す時点で、幾許かの返金がある(リサイクル業者が買い上げてくれる)、とすれば、より資源循環型社会のありようが具体的に市民に眼に見える形として、明確になる筈なのである。
◎参考:堺屋太一の示す『知価』と『物価』の事例
堺屋太一 『日本の盛衰』 PHP新書 2002年
ファッション・ブランドに占める価格 より
◎資源再生産サイクル 機能価値と素材価値について
製品 | 機能価値 | 素材価値 | |
機械工業製品 | その製品が持つ付加価値 | 金属類・プラスチック・木・ガラス・ | |
トランスポーター(車・船舶・航空機等) | 移動・輸送 | ゴムなど | |
建築物 | 通常の建築物 | 居住・事業など | コンクリート・鉄・木・プラスチック |
文化遺産など | 歴史的/文化的価値 | ガラスなど | |
容器 | リユース可能なビン類 | 容器としての価値 | − |
使い捨てのビン類 | 容器としての価値+中身 | ガラス | |
缶類 | 容器としての価値+中身 | 鉄・アルミ | |
プラスチック容器 | 容器としての価値+中身 | プラスチック | |
動物類(法的には器物) | 愛玩用 | 癒しなど | − |
食肉用 | − | 食料 | |
荷役用 | 輸送・農業など | 食料 | |
植物類 | (観賞用など) | (食料・バイオマス資源など) |
上記は、様々な物財の機能価値と素材価値の例を挙げてみたものである。(知価価値については省略した)
この表における『素材価値』を、具体的な金額で、その商品の販売時に表示する(例えそれがわずかであっても)。その流れにより、価値として市民が認識出来るように明示することから、これらの価値区分の考えを浸透させることが可能となると思われる。
※金の鉱石1トンから抽出できる金の量は6g程度であるが、MDプレーヤの廃棄物には金が1トン当たり230g、デジカメには169gが含まれているという。またパソコン等の廃棄物に含まれるプリント基板からは、最新技術処理により、1トン当たり700gの金のほか、プラチナ、銀、パラジウム、タンタルなどの貴金属を多量に抽出することが可能とされている。また携帯電話も、1台に含まれる金の量は0.028gあり、他のレアメタルも多量に採れるという。まさに廃棄物(人工資源)は宝の山なのである。 (資源エネルギー庁資料(2006/11)などより)
つまり、廃棄物がまとまった形で存在する限りにおいては、従来の鉱山から掘り出して精錬、抽出するよりも余程効率よい再生産が可能となるのである。これらのリサイクル原料さえ効率よく確保できれば、現在においても好収益を上げている民間企業も多々あり、一例を挙げるならば、歯科クリニックをターゲットとして貴金属資源を専門に回収する会社は、現在の日本の金鉱山の産出量を上回る金を生産しているという。 (アサヒプリテック株式会社HPより)
これらの資源再生産システムの構築と運用にあたっては、当面は各国家がそのイニシアティブを取るべきと思われる。 その理由の主なものとしては、やはり『資源安保』である。 現代国家が、国防や食糧の自給、石油の備蓄などに注力するのと同様に、安定した再生産資源(人工資源)の確保とその備蓄、価格の安定化に投資すべきなのである。日本では1987年以降、様々なレアメタルの備蓄を行なっており(現在のところこれらは全て一次産品ではあるが)、その方向付けは概ね正しいと思われるが、ここではより広い見地からの取り組みが必要となってこよう。 確かに今現在は、これらリサイクルシステムの運営については、相当なコスト高であり採算は難しいと思われる。しかし長期的に見た場合、安価なエネルギーの確保が可能となれば、これら人工資源の活用についても十分ペイできるものとなるはずなのである。よってこの政策は、エネルギー政策への取り組みと軌を一にして取り組むべき課題であるとも言えよう。
地球人類社会全体が、これら資源問題解決の抜本策として『資源再生産サイクル』確立の必要性をコンセンサスとして受け入れ、一市民のレベルから各企業や自治体、国家にいたる具体的な社会システムとして構築し、実効性ある循環型社会を実現させることが、今後の『きたるべき社会』のふたつ目の必須項目であると言えよう。国別、地域別に見た場合、既に一部ではこの考えは受け入れられ、具体的に実行されつつある場面も存在はするものの、全体的に見た場合、人類文明は未だ資源収奪型のレベルであり、資源再生産の考えが大半の社会の合意として定着するまでには、いましばらくの時間と、そしてそれを推進する人達の、多大なるエネルギーが必要であると思われる。
また一部では、投棄場所の枯渇や環境汚染などのいわゆる『ゴミ問題』がクローズアップされつつあるが、当然この課題は資源問題や環境問題ともリンクしている訳であり、環境に対する社会の関心の高まりなどもひとつの契機として、早急且つ抜本的な取り組みが望まれる。 人類社会全体のコンセンサスとして、早急に『もったいない運動』(ワンガリ・マータイ女史の活動など)そして『ゴミ0運動』(資源の完全再生産)に取り組むべきであろう。
この資源再生産/再利用システムの稼動においては、現在行なわれている、『より低位な素材へのリサイクル』についても早急に改善する必要があり、循環でなく一方通行のリサイクルは、極力改善されるべきなのである。
※より低位な素材へのリサイクルとは、一度は他の素材として再使用されるが、次の段階では破棄されるか焼却されてしまうような、一方通行の再利用をいう。
Bエネルギー問題の抜本的解決 について
国際エネルギー機関(IEA)によると、2002年から2030年までの29年間における世界のエネルギー消費量は、標準モデルで1.6倍となると予測されている。そして2100年までの一世紀の間には3倍以上になるとの試算が示されている。そして今後、最もエネルギー問題が深刻となるであろう国は勿論、最も人口が多く経済発展の著しい、中国とそしてインドである。彼等はその人口の膨大さゆえに、そして彼等が必要とするエネルギートータルの大きさ故に、最も深刻なエネルギー危機に見舞われる事となると予測されている。
2002年現在での国民一人当たりのエネルギー消費量は、日本2.82、米国5.40、ドイツ2.92、フランス2.85に対し、中国0.47、インド0.17(単位は石油換算トン/人:エネルギー白書 2005)であるが、中国、インドとも現在の高い経済成長率に比例して、その使用量は急激に増大しつつある。 人口の伸びの割合と、一人当たりのエネルギー需要拡大の割合とでは、高度成長期においては後者の方がより急峻であり、彼等の生活レベルの向上(とその意思)に比例して急激なエネルギー需要の伸びを示す事となる。また同時に、この両国ともそのエネルギー効率は未だ非効率的であり、中国のそれは、最も省エネルギー化の進んだ国である日本の、約8分の1程度でしかない、という。そして、インドはそれよりもっと低率であるとされる。 現在の世界の発展途上国、特にこの両国においては、彼等のエネルギー需要に見合うだけのエネルギー資源の確保と同時に、急激な省エネルギー化も進めなければならないのである。
☆GDP当たりの一次エネルギー供給の各国比較(2003年) ※値が低いほど省エネが実現している事になる
日本 | 1.00 |
アメリカ | 2.08 |
イギリス | 1.43 |
フランス | 1.36 |
ドイツ | 2.41 |
(注)一次エネルギー供給(原油換算トン)/実質GDP(いずれも2003年実績値) を日本=1として換算
しかし中長期的にみた場合、現在の地球上における、特に化石燃料の需給見通しからして、到底彼等の需要を満足させられるものではなく、何らかの抜本的な解決策を考える事は、人類全体に取りまた地球環境にとって、まさに轍鮒の急なのである。
現在の世界の一次エネルギー供給は1965年の39億石油換算トン(toe)から、2004年まで年平均2.5%で増加し、102億toeに達している。 その増加率には明確な地域格差が存在し、先進地域が低く、開発途上地域(非OECD)では高くなっており、これは先進地域では経済成長率、人口増加率とも開発途上地域と比較して低くとどまっていること、産業構造の変化、エネルギー消費機器の効率改善などによる省エネルギーが進んだことによる一方、開発途上地域では極めて堅調なエネルギー消費の増加が持続し、特に経済成長の著しいアジア太平洋地域は、世界のエネルギー消費量増加に大きな影響を与えている。 また、かつて世界のエネルギー消費に高いウエイトを持っていた旧ソ連地域は、1991年のソ連邦崩壊以降、経済・社会の混乱とともにエネルギー消費量が減少していたが、1999年以降、社会の安定化と経済活動の再活性化に伴い増加に転じている。 こうした状況から、世界のエネルギー消費に占める先進地域の割合は、過去40年間で10ポイント以上低下し、地域別エネルギー消費の構造的変化を示している。
そして、世界のエネルギー消費量は、2030年時点においては2002年度よりも6割も増加すると予測されているのである。 (エネルギー白書 2006より)
☆世界の一次エネルギー消費量の推移と見通し
(単位:百万toe) 年 | 1971 | 2002 | 2010 | 2020 | 2030 | 2030/2002増加率 |
OECD(日韓除く) | 3,101 | 4,625 | 5,146 | 5,641 | 5,996 | 130% |
旧ソ連等 | 814 | 1,030 | 1,186 | 1,358 | 1,499 | 146% |
中国 | 405 | 1,242 | 1,622 | 2,072 | 2,539 | 204% |
アジア(日韓含む) | 656 | 1,898 | 2,333 | 2,888 | 3,428 | 181% |
中南米 | 203 | 465 | 575 | 746 | 958 | 206% |
中東 | 51 | 407 | 524 | 695 | 809 | 199% |
アフリカ | 200 | 534 | 660 | 852 | 1,096 | 205% |
その他 | 106 | 144 | 148 | 152 | 162 | 113% |
世界全体 | 5,536 | 10,345 | 12,194 | 14,404 | 16,487 | 159% |
資料:IEA「World Energy Outlook 2004」
次に、世界のエネルギー生産におけるその内訳を見てみることとする。
☆世界の一次エネルギー供給の推移(エネルギー別) (単位:100万toe)
年 | 1970 | 1980 | 1990 | 2000 | 2004 | ウエイト | CO2発生 |
石油 | 2,253 | 2,975 | 3,138 | 3,526 | 3,767 | 36.80% | ○ |
ガス | 924 | 1,307 | 1,794 | 2,194 | 2,420 | 23.70% | ○ |
石炭 | 1,552 | 1,811 | 2,237 | 2,141 | 2,778 | 27.20% | ◎ |
原子力 | 18 | 161 | 453 | 585 | 624 | 6.10% | |
水力 | 269 | 387 | 495 | 614 | 634 | 6.20% | |
合計 | 5,014 | 6,640 | 8,117 | 9,059 | 10,223 | 100.00% |
資料:BP「Statistical Review of World Energy 2005」
上記の如く、世界のエネルギー生産は、原子力と水力を除くその大半がCO2発生に関わる化石資源によるものであり、総計102.2億toeの88%、90億toeがCO2発生源となっている。
そして現在の世界の総CO2排出量は、化石燃料燃焼起源のものが252億トンとされている。(2003年時点:炭素換算としては69億トン) 出典:エネルギー・経済統計要覧(2006年版)
各国別のウエイトは、米国が22.8%、中国16.4%、ロシア6.3%、日本は4.9%、インド4.3%、ドイツ3.4%、韓国1.8%、他となっている。
2007年5月、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change)は、その総会において、地球温暖化の原因を人為起源の温室効果ガスの増加とほぼ断定した。 世界がこのまま化石燃料に頼って高い経済成長を目指した場合、21世紀末の地球の平均気温は2.4〜6.4℃上昇し、生態系や社会に深刻な影響を与えると予測しており、化石燃料の利用を抑え、より燃費の良い輸送手段の開発や原子力の活用など、多岐にわたる対策が早急に必要であるとしている。 毎年250億トン以上ものCO2を排出し続けている人類にとって、温暖化への対応はまさに「待ったなし」の状況である。
しかしこのIPCCの評価書の作成においてさえ、特に中国などの思惑が色濃く反映され、人類に対する警鐘の度合いは、当初の表現から相当弱められることとなったといい、人類共通の課題への認識において自国にとって都合の悪い事項をいまだになかなか認めようとしないのが一部の政府の実態なのである。
また一方において、京都議定書や京都議定書以降、そしてこれらIPCCなどの取り組みや警告にもかかわらず、各国の都合やエゴむきだしによる、なし崩しのCO2垂れ流しが依然として続くという予測もあり、米エネルギー情報局(EIA)は、世界のCO2排出量が、2030年には04年から59%増加して429億トンに達するとの予想を明らかにしている。(2007長期エネルギー需給見通し 2007/5/21)
これは京都議定書の基準となる212億トン(1990年)の2倍以上になる。EIAは世界のCO2排出量の今後の伸びを年1.8%のペースと予想しており、OECD加盟先進国の増加率を0.8%とし(アメリカ+1.1%、欧州+0.3%、日本+0.1%などと予測)、その一方で二大人口大国の中国を+3.4%、インドを+2.6%と、開発途上国の高い伸びを見込んでいる。 つまりEIAは、上記の世界のエネルギー消費量とほぼ同じ率で平行してCO2排出量も増加すると見込んでいるのである。 現時点において、化石燃料以外の有力な代替エネルギーの開発が悲観的である以上、この予測は一面やむを得ぬものであろう。 ただ、このままストレートに世界経済が右肩上がりに発展するか否かについては様々な疑問もあり、中国やインド等、開発途上国のバブル崩壊など、不確定要素を多分に含んでいることもまた事実である。
ただ言える事は、何がどう転んでも、『地球は一つしかない』訳であり、このまま予想通りCO2の排出が増加した場合、その結果については『誰かが責任を取る』のではなく、『人類みんなが責任を取らねばならない』のである。我々はこのEIAの予測通り、無節操に地球環境にダメージを与え続けて良いのであろうか。 法に触れない範囲で最大限の努力をし、その勤勉の結果として繁栄を謳歌して何が悪い!といった、過去のピューリタニズムに基づく無邪気な無限拡大思想は、一つの閉鎖環境である地球上においては、もはや危険な思想と言わざるを得ないのである。
しかし、現在の発展途上国が今後豊かになろうとするのを押しとどめる事は実際には不可能である。 OECD各国の市民が現在謳歌している豊かな生活を、彼等にあきらめろ!と言う権利は誰にも無い。 そして同時に、化石燃料を多用する現在のエネルギーシステムでは、それを実現させる事は、供給面/環境面ともに、物理的に全く不可能なのである。
そのジレンマを解決する手段の一つとして、『埋蔵炭素資源を使わずCO2を発生させない』『環境を汚さない』クリーンエネルギーの開発が急がれていることはご高承の通りである。 有限の資源に手をつけず、CO2や有害物質を出さないエネルギー源が確保できれば、人類は今後も継続して発展することが可能であり、全ての人類が現在の先進国並みのエネルギーを使用し、豊かな生活を送ることが可能となるのである。
しかし事はそう簡単ではない。 比較的有望とされるそれらクリーンエネルギー技術の開発が各国で盛んに行なわれてはいるが、それらの全てを集めても、人類が今後必要とするエネルギー量の一割程度をまかなえるに過ぎず、根本的な解決とは程遠いのが現状なのである。
☆クリーンエネルギーについて
いま、化石燃料等を燃やさず、CO2を排出しないクリーンなエネルギー源として、様々な新しい技術が開発/実用化され注目されている。 そしてそれらこそが次世代の新しいエネルギー源であり、世界と環境を救う切り札である、との些か過剰とも思える期待と、それを背景とした様々な形での報道もなされている。
◎新エネルギーとは
現在開発が進められている新しいエネルギー源には、様々な技術が用いられ、総じて『環境に優しい』エネルギー源として期待されている。その大まかな種類として、主として以下の技術が挙げられている。
☆新エネルギーの種類
新エネルギー | 概要 | CO2発生 |
太陽光 | 太陽光から直接発電する太陽電池や、間接的に太陽熱を利用する発電システム、パッシブソーラーなど | × |
風力発電 | 風車に連動した発電器を動かして発電する。気象条件に左右される | × |
地熱発電 | 地中のマグマの熱エネルギーを利用して、蒸気等を直接熱源として利用したり、発電を行う | × |
潮力発電・波力発電 | 潮の干満(潮位差)や波の力の運動エネルギーを利用して発電する | × |
海洋温度差発電 | 海面の水温と深層水の温度差によって発電を行なう | × |
燃料電池 | 天然ガス等から発生させた水素と、大気中の酸素を化学反応させて電気や熱を取り出す | × |
バイオマス | 畜産廃棄物などからのメタンの熱源利用や、セルロースを細菌分解させて有機物として利用する | ○ |
メタンハイドレート | 主として大陸棚等に存在するメタンと水の結晶で、石油等に比しCO2の排出が約半分である | ○ |
世界各国でこれらへの取り組みが行なわれており、特に太陽光発電は日本がリードしており、2004年時点で44%の世界シェアとなっている。また風力発電では、ドイツが35%を占めている。
ただこれらのシステムの稼動においてはCO2の発生がないといっても、その製造や維持の過程においては幾許かのエネルギーを使う訳であり、完全にクリーンと言うわけではない。
現在の日本における新エネルギーのウエイトは、2.6%(2004年)となっており、様々な法的優遇措置も取られてはいるが、その普及は今後の大きなテーマである。
危急的課題となっている地球環境問題に対する取り組みとして、これら『クリーンな新エネルギー』の開発と普及を推進するという方向付けそのものは正解と思われるが、その実効に対して、あまり過度の期待をかけることは、問題を複雑にするだけと思われるのである。 やはり近い将来において、化石燃料に全面的に置き変わるだけの、何らかの基本的なエネルギー源を開発することが必須なのである。 そして、当面最も手の届きやすい所にあるのは、やはり『原子力』が挙げられよう。
◎原子力発電について
日本の資源エネルギー庁発行のエネルギー白書においても、エネルギー供給体制の多様化への取り組みの第一として、原子力の推進を挙げている。 (平成17年度においてエネルギーの需給に関して講じた施策の概況 第3章 多様なエネルギーの開発・導入及び利用 第1節 原子力の開発、導入及び利用、等)
現在の人類の技術レベルにおいては、これは当面やむを得ない事と思われる。 確かに日本においては、二発の原爆の惨禍の影響や第五福竜丸の放射能汚染事件などから、核の利用に対しての国民的アレルギーもあり、また最近の各電力会社や日本原子力研究開発による一連の事故隠しや被爆事故などによる、国の核政策に対する不信感が増大しており、原発の新規建設や新技術の開発などへの世論の風当たりも大変強くなっている。しかし冷静に考えてみた場合、これらは何れも核技術そのものの信頼性というより、その応用段階での問題が主であり、『人為的要因』(人災)の面が大きいのである。今の政府や各電力会社の体質を抜本的に改め、広くコンセンサスを得て公正な立場で原子力政策を進めてゆけば、特にエネルギー自給率の低い日本において、その危機管理の面からすれば、当面最も効率的な選択肢であるはずなのである。今後は冷静且つ開かれた広範な議論に基づき、それらの開発を進めるべきと思われる。 将来、プルサーマルや高速増殖炉など核分裂物質の効率利用の技術が実用化された場合、長期にわたってのエネルギー資源の確保にもつながり、特に日本においては、国としての『エネルギー安保』にも大いに寄与することとなろう。 諸外国の例を見てみると、フランスは過去から一貫して原子力政策に注力しており、2004年では全発電量の79%を原発が占めており、他のEU諸国に対し一部電力の輸出を行なっている。ちなみに同時期の日本の全発電量に占める原発のウエイトは29%であり、国内で使用する全エネルギーに対しては、10.5%のウエイトととなっている。 また、アメリカにおいては、103基の原発を保有しその発電総量は世界一であり、原子力発電のウエイトは総電力量の20%となっている。そしてその平均稼働率は、様々な課題を抱えつつも約91%と高い水準にある。(日本は2003年度59.7%) スリーマイル島事故の影響や、核不拡散を最優先課題とした政策などで1996年以降、原発の新規運転開始は途絶えていたが、2002年になって米国エネルギー省が「原子力2010」プログラムを発表し、ブッシュ政権下で再度エネルギー政策の見直しが行われ、エネルギー対外依存度低減などを進める為の「先端エネルギーイニシアティブ」政策の下、主要なエネルギー源として原子力利用の拡大を再度推進することを意図して、新たなプラント建設が計画されている。
しかし、従来から指摘されている如く、原子力の継続的な利用には放射能汚染や被爆の危険性が常に付随することとなり、また高レベル放射性廃棄物の保管問題や、老朽化した原子炉の廃棄費用など、今後の課題も多々存在していることも事実である。 そして人類社会全体としてみた場合においても、その稼動に必要な技術レベルの高さや核汚染リスクの高さなどから、原子力の活用が今後の全世界のエネルギー問題を全て解決してくれる切り札とはなり得ないと思われる。やはりこの原子力エネルギーの利用については、人類が当面の環境危機を切り抜けるための、『つなぎの技術』として位置づけるべきであろう。 もちろん、それとても非常に重要なことなのであるが。
今後、我々人類が継続して発展し、真に豊かな社会を構築するためには、抜本的な新たなエネルギー源を開発し実用化する必要がある。 そしてその開発は一日も早く行なわなければならない。 人類社会発展の圧力や、温暖化対策など環境問題に対する早急な対応など、残された時間は実際僅かしかないのである。
2007年6月のG8合意により、やっと具体的な温暖化ガス対策が始動される可能性が高まったが、実際にその合意を実現させるとなると、今現在は全く目途が立たない状況なのである。 この合意については、議長国ドイツのメルケル首相が「合意内容を反故にできる国はない」とのコメントを出しており、各国とも前向きには取り組むであろうし、そうしなければ人類社会が危機的状況になる事は共通認識があると思われるが、いざ手を打つ段になっても、『手持ちの駒は何もない』状況なのである。このままでは、2050年までに半減どころか、中国をはじめとした途上国の無制限のCO2排出増加により、かえって増えてしまう可能性も存在するのである。
☆抜本的なエネルギー問題解決の手段について
地球上のエネルギー問題を抜本的に解決する手段としては、やはり今一部で言われている如く、『核融合エネルギーの実用化』以外には無いと思われる。 水素爆弾など破壊的な利用ではなく、発電システムの熱源として、平和裏に核融合反応を利用するというアイデアについては、1960年代からその実用化が期待されていた。若し、核融合エネルギーの開発が一年早まり、全ての化石燃料によるエネルギーを代替することが出来れば毎年300億トン以上のCO2削減が可能となるのである。
(ITER後の実用炉が建設された年代の世界のエネルギー使用量試算から算出)
もはや人類に残されている、地球温暖化防止と経済発展を両立させる手段は、この核融合エネルギーの開発のほかには存在しないのである。
◎核融合エネルギーの活用について
現在地球上で実現が可能と考えられている核融合エネルギーは、次の三つの反応による。
D−T反応 | D(重水素)とT(トリチウム、三重水素)を反応させるもので、核融合が生起する条件が最も簡単で、最初に実用化が可能とされている。 現在国際協力で建設中の実験炉ITERも、この方式である。 | 燃料となるトリチウムは天然に存在せず、原子炉でリチウムから作る必要があり、希元素の資源問題がある。また中性子が発生し、炉壁の放射能化の課題が残される。 |
D−3He反応 | 重水素と3He(ヘリウム3)を反応させる。生成されるエネルギーが陽子として放出され中性子が発生しないためエネルギーの抽出が簡単で、最も効率よい発電が可能であるとされ、核融合炉の本命とされている。 | ヘリウム3は主として月面上に存在しており、輸送問題等が考えられる。また反応条件はD−T反応より厳しく、今後一層の技術開発が必要である。 |
D−D反応 | 重水素同士を反応させるため、燃料は地球上でほぼ無限に確保でき、全く心配が無い。 | 反応条件はD−T反応より厳しい。D−T反応程ではないが中性子も発生する。 |
上記の如く、それぞれに得失がある。
先ず人類が最初に開発し得るのは、原理的に核融合反応が起こし易いD−T反応炉であろう。これは現在、世界プロジェクトとしてITER(イーター)計画として実験炉が計画、建設中である。日本も本格的にこの計画に参加し、青森県の六ヶ所村にそのコントロール装置が置かれる事となっている。ただこのD−T反応炉には先述の様々な問題点も指摘されていることも事実であり、最終的にはこの技術は『核融合エネルギー利用のための突破口』の位置付けとなろう。 この炉に使われるトリチウムの原料となるリチウムは、地球上ではレアメタル(希少金属)であり、2004年現在での確認埋蔵量は、約1100万トンとされている。ただこれを全てトリチウムにした場合、1000年以上にわたって地球上のエネルギーをまかなう事が出来る計算になり、この面での心配は無いと思われ、核融合炉の燃料の枯渇問題は、取り敢えず無視して構わない模様である。この重水素−トリチウム燃料1gからは、石油8トンに相当するエネルギーが取り出されることとなる。 しかし、この反応によって発生する大量の中性子を吸収させる炉壁の放射能化は大きな課題であり、その壁面材質の改良と処理方法に課題を残している。
将来的に有望視されているのは、D−3He反応とD−D反応である。ただ、これらの反応を安定して生起させるための技術が未だ開発途上であり、当面のD−T反応炉の技術開発に添った形でその後の技術進展を待つことになろう。
D−3He反応に使用される3He(ヘリウム3:ヘリウムの同位元素)は、月面に多量に存在する事が確認されており、これが実用化されれば人類はほぼ無限のエネルギー資源を手にする事となる。数十億年に亘って太陽から降り注いできた太陽風によって運ばれてきた3Heは、月の表面の岩石に大量に付着しており、これを月面で採集、精製して地球に送るか、もしくは一部では月面に発電システムを建設し、ビーム送電によって直接地球に送電する事も現実的な技術問題として考えられている。中国が今、月面のヘリウム3に着目し、その採掘の具体計画を進めていると報道されたのは、将にその表れなのである。かの国が今後も経済発展を維持するためには、核融合技術に依るしかないことを、中国の現指導者達が良く承知している証なのである。
そして実際にこれらが実現した場合、人類はほぼ無限のクリーンエネルギーを手にする事が出来るのである。
現在、CO2の排出削減の動きを受けて、先述の如く盛んに様々な代替エネルギーが開発されているが、実際『完全に無公害』なエネルギー源は今の所存在しておらず、やはり皆何らかの課題を抱えている。この核融合エネルギー開発にあわせ、自動車や航空機、鉄道などトランスポーターの動力源についても抜本的に見直し、バッテリーや水素燃料電池などに置換してクリーン化できれば、その時点ではじめて地球のCO2排出問題はクリアできるのである。将来的に核融合反応炉による発電が普及した段階においては、その発電コストは非常に低いものとなり、現在の地球上のトランスポーターの大半の動力源を電力あるいは電力を使用して生成した水素などに置き換えた方が、コスト的にも最も合理的となると考えられている。また、ジェット機などの航空機についても、使用する燃料をエタノールなどのバイオ燃料に転換すれば、基本的に石油などの化石エネルギーの使用は、地球上から一掃されることとなるのである。
◎現在の核融合エネルギー開発のペース − グローバルプロジェクトとしてのITERの建設と稼動について −
『ITER』とは国際熱核融合実験炉という意味であり、平和目的の核融合エネルギーが科学技術的に成立することを実証する為に、日本・欧州連合(EU)・ロシア・米国・韓国・中国・インドの七極が進めている国際プロジェクトであり、人類初の核融合実験炉の実現を目指している。 (語彙の公式見解は、ラテン語で「道」を意味するiterに由来する、とされている。)
これは1985年の米ソ首脳会談以来、各国の核融合研究を集成して行なわれており、フランスのマルセイユ近辺にあるカダラッシュに建設サイトを設けている。 この地において、本体および付属設備を2007年から10年間で建設し、その後20年かけて核融合炉の実用化に向けた実験が行なわれることになっている。そしてその具体的な目標を、『自己点火及び長時間燃焼の実験』と、『核融合炉工学技術の実証』 においている。 炉本体の建設予算は、付随費用を含め10年間で計5,700億円と見積もられている。あわせてその後の運営に年間300億円程度を見込んでいる、と言う。 この計画が順調に行けば、2037年頃までに核融合の基本的な技術を確立し、その後本格的な核融合原型炉の建設に入る予定となっている。つまりこのITER計画に沿った場合、順調に実験と開発が進んだ場合でも、人類社会が平和的な核融合エネルギーを利用できるようになるのは、今世紀の半ば頃のことであるとされているのである。
またこのITER計画に対しては一部から批判の声も出ており、多額の予算に対する疑問や、核融合反応(D-T反応)に付随した中性子による炉壁の放射能化の課題なども投げかけられているが、主要国が一致して、地球温暖化など環境対策の意味も含め、次代のエネルギーを一致して開発しようとする動きに対しては、素直に評価できるものであろう。
しかし、計画通りに事が進んだとしてもこの技術が実用化されるまでには、あと30年以上かかるとされている訳であり、現在の人間活動による地球環境悪化のスピードを勘案した場合、それでは全く遅すぎる事になる。 核融合エネルギーが実用化されるといっても、実用的な核融合炉(D−3He反応炉など)がその後開発され、その技術が一般化されて世界の電力の相当部分を賄うようになるまでには、やはり最低でも半世紀以上の時間が必要とされる筈であり、それがCO2発生の抑制効果として具体的に現れるのは、少なくとも来世紀になってからであり、最悪のケースを想定した場合、継続したCO2の垂れ流しによって今世紀半ば以降、急激な地球の温度上昇が発生する恐れが多分にあるのである。
つまり、今のITERでは遅すぎるのだ! 地球が灼熱化し人類社会に多大な被害と混乱が生じた後、核融合炉をいくら作っても、地球の環境がもとに復するには、やはり百年単位の時間を要することとなり、実際の大規模な環境変動が生ずる前でなければ、その効果は限られたものとなってしまうのである。 やはり ITERでは遅すぎる! のである。
現在、実際に世界各地で気象異変が頻発しており、地球環境問題がクローズアップされているまさにこの時期に、世界が一丸となり、こぞってこの新エネルギー開発に、もっと注力すべきではないか。この核融合エネルギー開発には様々な技術的課題もあり、一部においては既存技術の一層の熟成が必要であり、その為には『時を待たねばならない』部分も存在する事は一面事実ではあるが、人類社会が将来においても継続して発展してゆくためのエネルギー源としては、この『核融合エネルギーの開発の他に、道は無い』のである。 また勿論、多額の開発費もかかる事も事実ではあるが、この費用はいつか誰かが掛けねばならない訳であり、とどのつまり、『今出す』か『あとで出す』かだけの問題なのである。
ここで、この核融合エネルギーの開発費用について他のコストと比較してみることとする。
現在の世界の軍事費は、年間で合計1兆ドル(約120兆円)とされている。
そしてその内訳は米国が4562億ドルと45%を占めており、そして日本は世界5位の428億ドルの支出をおこなっている。
○世界各国の軍事支出 (ミリタリーバランス2005年)
順位 | 国名 | 軍事費 (単位:億ドル) |
1 | アメリカ | 4,562 |
2 | ロシア | 652 |
3 | 中国 | 560 |
4 | フランス | 457 |
5 | 日本 | 428 |
6 | イギリス | 428 |
世界合計 | 10,000 |
つまり、世界の軍事費とITERの10年間の建設費総額とを比較した場合は、世界年間軍事費の僅か0.48%であり、単年度で比較すると、その運転維持や一連の実験にかかる費用全てを合わせても、世界軍事費の0.1%にも満たないのである。
地球温暖化による破滅の危機から人類社会全体を救うための費用が、『人を殺すための準備費用(言い方は悪いが)』のわずか千分の一以下という状況であり、いかに人類が『本気で』この課題に取り組んでいないかという現れでもあろう。 現在の我々人類を脅かす真の敵は、他の国家、他の宗教、他のイデオロギー、はたまたテロ集団などではなく、地球環境を無邪気に破壊しつつあるまさに我々自身の活動そのものなのだ。その『真の敵』に対して、全世界の国々が軍事費の一部なりを投入し、それを打破するよう取り組むことは当然のことではないだろうか。 人類にもっと叡智があるなら、今こそ集中してエネルギー問題の抜本的解決に取り組むべき時期なのであるが。 少なくとも、現在のITERの予算に数十倍した、世界中の産官学挙げての注力を行なうべき時なのである。 そしてそれこそが、『真の世界プロジェクト』である筈である。
また日本だけをとってみても、現在の国家予算のうち、昨今問題となった、ガソリンなどにかけられている『特定道路財源』は、2007年度予算で5兆6,102億円もあり、その中の、特に揮発油税(2兆8千億円以上)などを仮に『エネルギー開発税』として、新たなエネルギー源の確保に毎年充当すれば、これも単純計算でITER50基分に充当できるだけの予算確保が日本のみで可能となるのである。本来の揮発油税の趣旨としては、不要不急な道路などの建設に浪費させるのでなく、『国家のエネルギー安全保障』に使うべき税金であり、これこそがその趣旨に最適な使途なのである。
そしてまた日本が世界を先導して核融合エネルギーを開発/実用化することこそが、日本国憲法に示されている、『世界に貢献する日本』そして『世界で名誉ある地位を占める』という主旨に最適なことであると言えよう。環境負荷のない恒久的エネルギーの開発は人類の継続的発展に不可欠であり、世界の全ての国、全ての民族が皆、豊かな生活を送るための必須項目であり、世界の貧困や格差の撲滅に最も貢献できる技術革新なのである。最近はほぼ正常化した模様ではあるが、過去において日本がおこなってきた無節操なODAなどより、よほど相手国に喜ばれる、生きた金の使い方のはずである。
『日出ずる国』日本は、『真の太陽エネルギー』(太陽エネルギーの元は核融合反応)を地球にもたらすにおいて、まさに最適の国なのである。また先述のアニミズム思想に基づく環境問題への対処という考えに沿って考えるなら、『自然をあるがままに受け入れる』という意味においても、化石燃料を含めた地球上全てのエネルギーの大元はやはり太陽エネルギーであり、いわばその基本に立ち返る、ということであるとも言えよう。(その点、核分裂反応に基づく『原子力』はこの大原則から外れることとなる。この点からも、やはり原発はつなぎのエネルギーであるといえるのかも知れない。)
そしてこの技術への取り組みは、過去の米国のアポロ計画の例に見る如く、総合科学としてのより多面的な研究が必要であり、そしてそれ故にその成果もまた、大変多岐の分野にわたるものとなろう。日本或いは世界の各分野の科学技術力を一気に向上させるためのコアプロジェクトとしての位置付けが可能なのである。各国において、各分野のコンセンサスを得た上でより多面的な参加を募ることも今後必要となると思われる。
同時に、地球環境への待ったなしの対応のため、これらの技術開発と平行して、開発完了後を見越した入念な事前の下準備も進めるべきである。 実用炉の設計が完成すると同時に、世界中で一気にその建設に着工できるよう段取りが必要となる。特に石炭を多用する旧式の発電設備などを、優先して置換すべきである。
これらの一連のことを個々に考えた場合、それらは相当に困難な事業となると思われる。やみくもに予算さえ掛ければ、すぐにそれらが実現するというものでもない。 しかしトータルとして一気に実施すれば、その困難は乗り越えられるはずなのである。ベルリンの壁崩壊に見られる如く、何事においても、物事を少しづつ変える事は難しくとも、一気に変革してしまう事は、思案の外可能なのである。
※1962年、当時のケネディアメリカ大統領は、1960年代のうちに人類を月に送り込むという壮大な国家プロジェクトを発動した。その時点の国際情勢は冷戦の真っ只中であり、アポロ計画はソビエトと熾烈な軍拡競争、宇宙開発競争を展開していたアメリカの威信を賭けたものであった。当時としてその計画は非常に意欲的且つタイトなものであったが、結果は周知の通り1969年7月のアポロ11号の月着陸として実現したのである。そしてその計画の遂行で得られた宇宙技術やノウハウは、その後のアメリカ社会に多大なプラスの波及効果をもたらし、現在まで米国は世界一の宇宙技術大国としての地位を維持している。
こういった、国家の衆知を集めたビッグプロジェクトというものは、結果として多大なメリットをその国にもたらすこととなるのである。 今人類社会としてやるべき最大の技術開発は、やはり実用的な『核融合炉』の開発であり、もし日本が短期間にこれをやり遂げる事が出来たなら、それはアポロ計画と同レベルの人類史に残る偉業となり、なおかつ日本社会や企業にとり多大な自信とノウハウを得ることが出来ると考えられるのである。
現在人類が直面しているエネルギー問題をトータル的に俯瞰してみると、前述の如く今地球上に存在する『化石エネルギー資源』の全ては、その大元は太陽エネルギー、即ち『太陽の中で核融合によって生み出されたエネルギー』の断片であり、太陽光の一部を過去の生物が利用した残りを、長い年月を経て人間が掘り出して使っている訳であり、現代において人間が『究極のエネルギー』として核融合発電を活用したとしても、要はその源は同じものなのである。 繰り返しとなるが、人類が核融合エネルギーを活用する事は、自然の摂理からしても『必然』のことなのである。
◎MHD発電について − より効率的なエネルギー変換システムの開発 −
現在、火力発電や原子力発電などで熱エネルギーから電力を取り出すには、通常、発生させた熱で水を蒸気に変えてタービンなどを回す、汽力発電方式が主に使われている。 これらのシステムの発電効率は、最新のもので約40%程度であるといい、発熱量の約四割を電気エネルギーに変えることが出来るとされる。 しかし現在、これらの方式に換えて『直接』電気エネルギーに変換する技術の開発が行われている。
これがMHD(Magneto-Hydro-Dynamics(電磁流体力学))発電技術である。
これは最終的なエネルギー変換効率約7割程度を目指せるとしており、核融合炉による発電との相性が良いとも考えられている。 D−3He方式の核融合炉では、中性子ではなく荷電粒子(陽子)が発生するので、放射化の問題をクリアできるばかりでなく、MHD発電の原理を応用して、電磁場を制御することで荷電粒子を、熱エネルギーを介さず直接かつ高効率に電力に変換することができるという。今までに日米の共同研究でD−3He核融合炉の概念設計を実施したり、日本国内で小型実験装置による実証実験も行われている。これらの実用化にあたっては、今後相当な技術開発と技術革新が必要となろうが、原理的に最も合理的とされるものであり、日本を始めとする各国の取り組みが待たれるところである。
将来的には、D−3He方式の核融合炉と、MHD発電を組み合わせた核融合発電システムが一般的となり、その世界中への普及により、人類社会のエネルギー問題は基本的な解決を見ると一部で予測されている。
◎核融合エネルギー開発と、産油国/産炭国の利害について
将来、核融合エネルギーが開発され、人類が化石エネルギーに頼る必要がなくなったとき、石油や石炭は無価値なものとなってしまうのかというと、その危惧は全く当て嵌まらないと思われる。
これらは、たとえエネルギー資源でなくなっても、やはり貴重な『炭素資源』であり、人類に取り有用な資源であり続ける事に変わりは無く、むしろ長期的な採掘と使用が可能となる訳であり、現在の産油国、石炭産出国にとり長期的見地から見た場合、核融合エネルギーの開発は、むしろ大きな恩恵をもたらすものとなる筈である。 現在の埋蔵量と産出量から、それが子の代、孫の代までに枯渇するという計算が、それ以降の世代にまで引き継ぐ事が可能となる訳であり、同時に安価なエネルギーの恩恵を享受することが出来るのである。またエネルギーが安価になれば、採掘にかかるコストもそれだけ低減することとなり、採掘可能量も飛躍的に増大することとなる。
これらのことから、核融合エネルギーの開発はこれら資源国にとっても、中長期的に見た場合大きなプラスとなる筈なのである。
☆食糧問題について
人間は『食物』を食べて生きているわけであり、現在、その偏在によって食糧問題も大きな国際的課題となっている。 世界人口65億人の中で、豊かなOECD諸国と、貧しい開発途上国ではその食糧事情は全く違い、現在、世界で約8億人が飢餓状態にあり、12億人以上が貧困にあえいでいるという。 一部の試算では、人口が100億を突破する2050年頃までには現在の2.25倍の食糧が必要になる計算だという。 しかし世界の農漁業生産高は20世紀には増加したが、多くはすでにピークを越えたという説もあり、そのため、今後世界で食糧危機が生起するという警告(レスター・ブラウンなど)等も発せられている。 確かに現在では旱魃や砂漠化問題に加えて、穀物をバイオエタノール燃料として利用するといった、経済構造に起因した問題も一方で発生しており、特に開発途上国において、今後食糧危機の生起する可能性は高いと思われる。
しかし長期的視点で見た場合、根本的には、『食糧問題は、エネルギー問題に集約される』と考えられるのである。 人間が活用できるエネルギーが潤沢にあれば(環境負荷への対応も含めて)その活用による食料の増産や、緊急の場合においては、セルロースの分解や微生物の大量培養、あるいはそれこそ石油や石炭などからも(うまいかまずいかは別として)食料を合成することも可能なのである。 人間が生きてゆくという事は、究極的には生物エネルギーを利用するということであり、昨今の生命科学の進展により、エネルギーの確保さえできれば、(各人の嗜好などへの対応は別として)食糧問題はバイオテクノロジーの分野で根本的な解決が可能なのである。
また現代の我々、特に先進国においては、食料の確保において非常に贅沢なやり方を行なっている。よく指摘されていることであるが、食用肉などを生産する畜産業においては、鶏肉を1Kg生産するのに必要な穀物は約2Kg、豚肉は4Kg、そして牛肉は11kg必要となり、太陽エネルギーを穀物/食肉を通して食料エネルギーに変えるというこの方式は、人間が直接穀物を摂取する場合に比べ、大変効率面では贅沢な方法なのである。また酪農業では、主に乳牛を介して植物性栄養素をより高い栄養である動物性栄養素に転換し、さらにそれを原料として多くの乳製品に加工されており、これも大変高付加価値の食料を供給していることになる。
これらの点から見た場合、人類社会の食糧問題とは、基本的には『生産力の問題』ではなくむしろ『嗜好の問題』と『分配の問題』であると言えよう。そしてそれを抜本的に解決するためには、人類社会全体のかさ上げが必要となる。 他の課題も含め小手先だけの解決では、地球社会の全てが、飢えから解決される事にはならいのである。
結論、この食糧問題についても、基本的には現代の『南北問題』の要素が多分に存在し、それを抜本的に解消するためには、人類がエネルギー問題を解決する以外には達成不可能な問題であり、逆にそれが達成された場合、必然的にこの課題も解消されることとなると考えられるのである。
☆離陸社会への展望 まとめ
◎必須項目1.人間精神の『成人』化
基本的にそれは現代民主主義の延長線上に位置するものであり、今後、世界各国が南北問題(国家間/民族間の格差)を収斂/軟着陸させ、ある程度豊かになることが大前提となる。人はみな衣食足りて後、礼節を知るのであり、少なくとも世界の貧困層のウエイトが一割程度を切る状態とならねば、その実現は難しいと思われる。
しかし21世紀初頭の現在でも、一日2ドル以下での生活を余儀なくされている人々が世界で25億人存在するという現状(UNDP(国連開発計画)の資料)であり、今後の第三世界の人口増加問題とあいまって、その解決の糸口すら見つかってはいない。
当面は、先進各国の社会が率先して You are also OK!の立場から牽引してゆく必要があろう。
したがって現在の『国家』という社会システムは、今後も維持してゆく必要があろう。例えその概念が変容しても、当面は国家は消失はしないしさせるべきではない。 そしてそれが真の意味で無用となるのは、全地球的な規模でレベル4社会の実現を迎えて後のこととなるであろう。
また勿論、現在の民主主義にもその課題や限界は存在する。現在の間接民主主義の方式は、確かに社会運営の『モアベター』な方法ではあるが決して『MOST』ではなく、その限界と欠点を、構成員の大半が理解しておかなければならない。議会政治を是とする事の社会的な『コストとリスク』をきっちり認識し把握することが必要である。
人類の大半が成人化するためには、何らかの新たな思想や規範が必須というわけではなく、過去に提示された様々な考えを整理した上で、森羅万象(あるいは他の表現でもよいが)と個人個人との『つながり』を認識し、個人と人類全体、そして個人と森羅万象との共生を志向することが必要となる。そしてその実現の為には、各人がそのことを『理解』し『認識』すればよいことであって、神秘体験などの特別な体験によってそれを『感得』することができなければ、その境地に達し得ないということでは決して無い。人類の大多数が I am OK and You are also OK! の立場に立ったとき、人類社会は名実共に成人化したと言えるのである。
※ただ本説が例示したごとく、モアベターな形としては、個々の人間精神の成人化を実現させるための要素として
@『ガイア思想』をその科学的理論的な裏付けとする ⇒ (論理的認識)
A『仏教哲学』を人間倫理の思想的なバックボーンとする ⇒ (倫理的認識)
B『トランスパーソナル心理学』的手法を応用して、自己と森羅万象とのつながりを感得する ⇒ (体感的認識)
という形が想定できよう。
○情報化社会の果たすべき役割とは
人類社会が離陸するための前段階として、『情報化社会』の到来が前提となると前述したが、情報化社会においては、人類全体としてどのような社会を目指せばよいか目指すべきなのかという事について、情報の拡大再生産と共有によって、極力多数の人々のコンセンサスを得ることが可能となる。 具体的には
・(トランスパーソナル的思考などに基づく)『ガイア思想』の普及、
・核融合エネルギーシステム開発の加速と、世論の形成推進
・資源のリサイクル推進と、省資源/省エネルギーの推進と普及、代替機能の開発
・情報ネットワークの活用やバーチャル体験等による人間の社会コストの削減、合理化
・全人類に対する『富』(資材や情報(モノ+コト))の分配における平準化の推進
などが挙げられよう。情報化社会は、来るべき社会の大前提として位置付けられるのである。
近い未来において核融合エネルギーが開発され、それが人類社会に普及し、環境問題等を引き起こすことなく自由にエネルギーが使える状態になった段階においても、人はそれを無意味に浪費して良い訳では決して無く、そしてそこに人間としての『品性』が求められることとなる。大多数の人間がその品性を持てるような社会の合意が大前提となるのである。
◎必須項目2.資源問題の『抜本的』解決
人間が品性を持ち、物欲や所有欲の呪縛からある程度開放された段階においては、あるべきライフスタイルの変革が起ると考えられる。従来の資源エネルギー浪費型の生活システムから、より多様な価値観の下で、より人間らしい生活が好まれるようになる筈である。いうならば、アメリカ型から旧来の日本型へのライフスタイルのパラダイムが変わることとなろう。 完全にリサイクルするからといって、ものを使い捨てにして良いわけはなく、必要十分なものを/必要十分なだけ使う ライフスタイルが主流となると思われる。
資源問題の抜本的解決の実現にあたっては、市民参加型の完全資源再生産サイクルの確立が大前提であり、人間精神と社会システムの双方がその流れに適応する必要があるのである。
◎必須項目3.エネルギー問題の抜本的解決
人類社会が地球環境から残された時間は余り無いと見なければならない。こういったクリティカルな問題において、根拠のない楽観論は、あまりに無責任といわざるを得ない。人類は、可及的速やかに、環境に対して責任の持てる新エネルギーを開発する必要がある。その為には、ITERでは遅すぎ、世界の軍事費の一部、或いは日本の揮発油税などを集中的に投下して一気に開発する体制を作るべきであり、そしてそれは社会のコンセンサスに基づくものであれば、十分に可能なことである。 少なくとも今後20年以内に、世界中に核融合炉プラントを建設し具体的に稼動できるレベルでの開発のスピードアップが必要となるのである。
☆離陸社会の実現について
以上の、主として三つの項目を具体的に実現させ定着させることが、人類が次の社会ステップを実現させる必須条件となると考えられるのである。 過去の諸氏の未来論にある如く、『未来はどうなってゆくか?』という受動的な視点からではなく、『未来は人類の次の世代にとってどうあるべきか、どうあらねばならないか、どうすべきか?』という、自分自らのこととして能動的な視点から捉え、あるべき社会の実現に向けて具体的に行動することこそが、今求められている。
あなたが自らに対し I am OK !であるならば、また21世紀に生きる一人の大人として You are also OK!であるべきであり、世界の人々の大半がそうなったとき、人類社会の次のステップである、きたるべき社会『レベル4社会=離陸社会』が実現することとなるのである。
敢えて、より具体的に論ずるとするなら、『ランチェスターの法則』(を応用したマーケットシェア論)を適用するとするならば、世界人口65億人のうち、OECD諸国など先進国を中心として
○安定目標値(41.7%) 27億1千万以上の人口が『成人化』した時、レベル4社会の実現は確実となる。
○下限目標値(26.1%) 17億人以上が『成人化』した時、レベル4社会実現の端緒についたこととなる。
以上の計算結果となる。
しかし実際の推移としては、人類の成人化は徐々に進展し浸透してゆくというものではなく、ユビキタス社会の浸透を軸として何らかのきっかけや動機付けにより、一気に加速する類のものであると考えられる。環境問題をはじめとする様々な課題に直面しその被害や実害を被りはじめた人類社会が、その直面する課題と具体的な解決策を『共有』した時点から、その解決に向け皆で走り出す推移が想定されるのである。
筆者として、その的中を強く期待したい。