私のアマチュア無線歴 V 2006/1


◎オスカー通信 (アマチュア衛星通信) にのめり込む

町の中は確かに生活には便利は良いですが、ハムライフにとっては余り条件は良くありません。
U/Vの電波はビルなどに邪魔されてあまり飛びませんし、見通し距離も山の上に比べて大分短くなります。
かといってHFをするには大きなアンテナを振り回すスペースも確保し辛く、TVIなども心配です。
家内と子供は街中に移って結構喜んでおりましたが、こちらは今までの生活パターンが崩れてしまい、些か不本意な生活を送っておりました。

そのとき、モービルハム誌などで目に留まったのが、米国のアマチュアが上げた人工衛星を使った交信の記事でした。
当時『オスカー通信』と呼ばれており、430Mhzと144Mhzのオールモード機があれば誰でも簡単にQRVできるとの事。
これだ! と思い、幾許かの研究の末、1.8m位のルーフタワーの上にローターと仰角ローターをちょこんと取り付け、2mクロス八木のスタックの間に430Mhzの12エレ八木をはさみ、屋根に上げました。  1978年(昭和53年)2月の事です。

 雑誌に掲載されていた軌道表に基づき、衛星が上空に飛来する時間と方向を確認し、Oscar7号のBモード(430MhzUP/144MhzDN)を受信、テレメトリが聞こえて来ました。
それを確認した後、430Mhz帯で信号を出します。  少しづつVFOを動かしてゆくと、自分の信号が144Mhzのリグから聞こえてきました。
『CQオスカー、CQオスカー、こちらはJ○4○○○・・・・』
おおっ!自分の声が人工衛星を経由して返ってきました。
早速OMさん方からコールいただき、名前と住所を交換。  1QSOあたり僅か数十秒の交信でしたが、U/Vの無線機で全国の方とQSO出来るのは、
HFとは又違った感慨でした。

その時QSOした方の中にはCQ誌やモービルハム誌に投稿されているOMさんもおられ、その後も様々なアドバイスを頂きました。

 その後Aモード(144MhzUP/29MhzDN)用に29Mhzのダイポールを張り、しばらくして本格的に2エレのHB9CVをオスカー用アンテナのブームに垂直に取り付けました。
これでOscar7号・8号と、その後上がった旧ソ連のRS1号・2号を使ったQSOが可能となり、日本及び東アジア一帯の局との交信に使用しました。
こうして全国の衛星通信の同好の方と繋がる様になり、その機会に日本アマチュア衛星通信協会(JAMSAT)にも入会し、そちらからも様々な情報を頂くようになりました。
また同時期、近在の局との情報交換の為、福山市のOMさんらと一緒に、毎週東京から送られてくる情報を元に、ローカルのJAMSATNETも開始しました。

 またこの頃はパソコンが発売され始めた時期であり、私も、コモドール社のCBM-3032という当時最新の8ビット機( クロックは2Mhz位、メモリは32Kbという、今では信じられないスペックですね(^_^) )を購入しておりました。
JAMSATのOMさんから衛星の軌道計算プログラムを送っていただき、それを入力(当時はプログラムは紙でもらって自分で入力するのが常)し、それを走らせて衛星の正確な位置データを出して活用したりしていました。
また、ボール紙とプラスチックの板で早見表なども作って同時に使っておりました。
 パソコンについては、その後NECのPC8001に移行し、ローカルさんと一緒にJAMSATの記事を元にA/D変換のICなどを取り寄せて自動追尾システムを組み上げ、パソコンのターミナルに繋いで各衛星の自動追尾も行ないました。
軌道計算プログラムはROMに焼き込んで即時ON可能な状態にして使っておりました。

また丁度この頃に香川県仁尾町で『仁尾太陽博』が開催されており、その見学を兼ねて、ローカルさんと一緒に、香川県と愛媛県に、オスカー通信の移動運用に出掛けました。
当時、四国には余りアクティブな衛星局は居られず、JARLのAJD/WAJA/JCCアワード(サテライト特記)のネックとなっておりました。
土日の二日間に亘り、香川県観音寺市と愛媛県伊予三島市の二市を全国数十局の方にサービスすることが出来たのも楽しい思い出です。

アマチュア衛星については、その後幾つも打ち上げられました。
80年6月に打ち上げられたPhase3Aはアリアンロケットの不調で失敗しましたが、83年6月にPhase3Bが上がりOscar10号となりました。
こちらは従来の衛星(Phase2)と違い楕円軌道を取っており、条件が良ければ遠地点付近では余りアンテナを動かさずに数時間もQSOできました。
しかし、Bモード運用では145.900Mhz台を受信する事となり、当時の2mバンドは相当混雑しており、混信を受けることも多々あり、また信号もPhase2衛星よりも弱く、余り良い受信環境ではありませんでした。  またLモードは、1200Mhz帯での送信機とアンテナシステムの用意が間に合いませんでした。
それでもBモードで幾多の海外局と交信出来、衛星通信の世界でもOverseaが当たり前となった事を実感しました。

又、アメリカ以外のアマチュア局が製作した衛星も平行して打ち上げられ、イギリスのUoSAT(UO-9,11)や日本のJAS-1(ふじ1号 FO-12)なども受信/交信出来ました。
これらは円軌道を回るPhase2衛星でしたので、アンテナのコントロールは忙しいですが、通信は楽でした。

その後、88年にPhase3C(Oscar13号)が打ち上げられ、この時までには1200Mhz機も準備し、LモードにもUPlinkする事が出来ました。
その頃には無線電話だけでなくSSTVやFAXにもQRVしており、衛星経由でVK(オーストラリア)などの局と鮮やかなSSTV画面で交信出来た時など、結構感動もしました。
またその頃から『アマチュアパケット通信』が始まり、これもローカルさんに教えてもらいながらぼつぼつやり出しておりましたが、この話は次回に回したいと思います。


  (この項 つづく)







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